日本自殺史
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    昭和時代 (1926年 – 1989年) の自殺者
1926/12/31 昭和元年12月31日 元岡山藩家老天城池田家12代当主、池田政佑男爵が東京府下中野町1054の自宅にて猟銃自殺 大正天皇に殉死
1927/1/4 昭和2年1月4日 婦人運動家、兵庫県立神戸高等女学校教師、塚本ふじ が首つり自殺
1927/1/6 昭和2年1月6日 作家、芥川龍之介の義兄、弁護士、西川豊が国鉄外房線、土気−大網駅間にて鉄道自殺
1927/2/23 昭和2年2月23日 大蔵省営繕管財局神戸出張所技師、戸田道直が神戸市茸合籠池通3-64大蔵省官舎にて妻子を殺害したのちに放火、焼身自殺
1927/3/15 昭和2年3月15日 私立神戸村野興業学校機械実習工場主任、佐藤米太郎が神戸市蓮宮通1の自宅にて妻子を日本刀で殺害したのちに拳銃自殺
1927/5/9 昭和2年5月9日 銀座松屋デパートにて初めての飛び降り自殺
1927/5/14 昭和2年5月14日 鶴岡市長代理、元助役の地主湧造が自宅土蔵にて首つり自殺
1927/5/19 昭和2年5月19日 久喜銀行幸手支店長、小林由蔵が埼玉県江面村大字下早見の自宅にて首つり自殺
1927/6/13 昭和2年6月13日 副島商業銀行頭取、草野半が阿武隈川にて入水自殺
1927/6/28 昭和2年6月28日 衆議院議員、星島二郎の弟、星島三郎が駒込駅にて鉄道自殺
1927/7/24 昭和2年7月24日 作家、芥川龍之介が東京市外滝野川町田端435の自宅寝室にて睡眠薬ベロナールとヂエアールをもちいて服薬自殺
1927/7/26 昭和2年7月26日 熊本市春竹町、中川主喜が自宅にて芥川龍之介の写真を前にしてカミソリで喉を切り自殺
1927/7/27 昭和2年7月27日 洋服店店員、富井篤治が芥川龍之介自殺の新聞記事を懐中にして東京府下大井町にて鉄道自殺
1927/7/31 昭和2年7月31日 静岡県議会議員、山本正治の妹、山本ちよが清水市辻町の自宅にてカルモチンをもちいて自殺、遺書に芥川龍之介の記述
1927/8/1 昭和2年8月1日 元、第百十銀行小郡支店長、長澤旗一が資産を預けていた十五銀行経営破綻により精神に異常をきたし、山口県長府町の自宅井戸に投身自殺
1927/9/4 昭和2年9月4日 兵庫県の淡河銀行常務取締役、清原勤が兵庫県有馬郡三田町の親戚宅にてモルヒネ大量摂取で自殺
1927/10/20 昭和2年10月20日 長野県富士見高原病院副院長、寺嶋長門博士が愛人森美佐子と共に列車内にて睡眠薬をもちいて服薬自殺、残された鞄に遺書十数通と芥川龍之介の『地獄変』があった。
1927/12/26 昭和2年12月26日 美保関事件:1927年8月24日、島根県美保関沖にて海軍夜間演習中に4艦が衝突、駆逐艦蕨沈没、3艦が大破中破、死者120名。蕨に衝突した軽巡洋艦神通艦長水城圭次大佐が横須賀鎮守府軍法会議の判決前日に、東京府下和田堀町字和泉17の自宅にてカミソリで喉を切り自殺
1928/1/15 昭和3年1月15日 台湾総督府事務官、菱村彦十郎の妻、もと子が銀座松坂屋八階屋上庭園南側より飛び降り自殺
1928/2/20 昭和3年2月20日 陸軍大将福田雅太郎狙撃事件の犯人で秋田刑務所にて服役中の無政府主義者、労働運動家、和田久太郎が同刑務所内にて首つり自殺
1928/2/27 昭和3年2月27日 労農党大山郁夫の選挙運動員、労農党幹部、西山近次が香川県瀧宮駅付近にて鉄道自殺
1928/3/1 昭和3年3月1日 高松小作争議の顧問弁護士、農民運動を支援していた若林三郎が、牛込南町12の自宅にて裁縫用のはさみで喉を切り自殺
1928/3/11 昭和3年3月11日 精進湖心中事件:東京高等学校教授北川三郎と麻布六本木カフェー誠志堂女給小林よね子が青木ヶ原樹海にて凍死心中
1928/5/12 昭和3年5月12日 島村抱月の次男、第一高等学校理科甲類三年、島村秋人が山中湖畔の第一高等学校嘯雲寮にて服毒自殺
1928/5/17 昭和3年5月17日 元大関伊勢ノ濱慶太郎が静岡県沼津市の旅館にて服毒自殺
1928/8/2 昭和3年8月2日 前福岡県議会議長、千田精一が大牟田市の自宅にてカミソリで自傷し自殺
1928/9/11 昭和3年9月11日 慶応大学経済学部理財科2年、佐々木四郎が那須岳火口付近にて睡眠薬をもちいて服薬自殺。衆議院議員、佐々木長治の弟。
1928/9/12 昭和3年9月12日 元鉄道省勅任技師で明治天皇行幸時の運輸監督、日本橋女学館高等女学校教授、佐藤信夫が東京府下長崎町並木町1945先武蔵野鉄道踏切にて鉄道自殺
1928/10/6 昭和3年10月6日 日本共産党委員長、渡辺政之輔が台湾基隆にて警官隊に囲まれ自殺
1928/12/11 昭和3年12月11日 兵庫県の大鹽銀行木場支店長、高田泰次が自宅にて首つり自殺
1929/2/11 昭和4年2月11日 埼玉県大里郡大寄村(現・埼玉県深谷市)の農民、茂木政吉の母、茂木とらが同村字内ヶ島の自宅にて首つり自殺。茂木政吉は1928年12月26日、貴族院正門前で唐沢堀開削反対を昭和天皇に直訴しようとして逮捕。
1929/3/7 昭和4年3月7日 モスクワ大使館付き駐在武官、小柳喜三郎大佐がモスクワの日本大使館内の居室にて短刀をもちいて切腹
1929/3/28 昭和4年3月28日 埼玉県秩父郡高篠村栃谷の豪農の娘、新井さと が芥川龍之介全集を抱えて同村高篠橋より飛び降り自殺
1929/3/30 昭和4年3月30日 洋画家、東郷青児が愛人、西崎盈子と東京府下大井町鹿島谷3138の自宅寝室にてガス自殺(未遂)
1929/5/19 昭和4年5月19日 大日本自転車専務取締役、山口鐵彦が日光瀧尾神社付近の山林にて服毒自殺。遺体が発見される。死後約二ヶ月が経過
1929/8/17 昭和4年8月17日 元総理大臣、寺内正毅の子、寺内毅雄陸軍少佐の妻あや子が夫病死約5時間後、通夜の最中に代々木町初台606の自宅二階にて拳銃自殺
1929/8/30 昭和4年8月30日 性科学者、医学博士、羽太鋭治が大井町立会川の自宅にてカルモチン300余錠を飲み自殺
1929/9/19 昭和4年9月19日 富山市の薬局経営、岡良之助が鹿児島県の西市来海岸にて飛び降り自殺。衆議院議員、高見之通の弟。
1929/9/21 昭和4年9月21日 作家、労働運動家、荒畑寒村が新宿2、東京ホテル3階客室にて睡眠薬をもちいて服薬自殺(未遂)
1929/11/2 昭和4年11月2日 九州帝国大学工学部造船科助教授、淺羽隆太が福岡県下ノ橋の自宅にてカミソリで喉を切り自殺
1929/11/29 昭和4年11月29日 中国大使、佐分利貞男が箱根宮下の富士屋 ホテル197号室にて拳銃自殺
1929/12/10 昭和4年12月10日 弘前高校3年、津島修治のちの太宰治が睡眠薬カルモチンをもちいて服薬自殺(未遂)
1930/1/28 昭和5年1月28日 上野松坂屋にて女学校生徒が飛び降り自殺、遺書に「芥川龍之介先生の許へ参ります」
1930/2/5 昭和5年2月5日 日本共産党中央委員、田中清玄の母、田中あいが服薬自殺
1930/2/20 昭和5年2月20日 大正三美人の一人、江木欣々が大阪市住吉区北田邊町847、異父弟でシャープ創業者早川徳次宅2階縁側にて首つり自殺
1930/3/10 昭和5年3月10日 詩人、金子みすゞが睡眠薬をもちいて服薬自殺
1930/3/28 昭和5年3月28日 三・一五事件:治安維持法で逮捕された共産党員、日下部千代一が市ヶ谷刑務所から保釈後、西宮市の自宅にてガス自殺
1930/4/26 昭和5年4月26日 水上機母艦能登呂主計大尉、秋山経治が艦内自室にて首つり自殺
1930/5/7 昭和5年5月7日 長唄の杵屋六也寿が自分の芸に自信を失い福島市上町にて睡眠薬カルモチンをもちいて服薬自殺
1930/5/19 昭和5年5月19日 詩人、生田春月が大阪発別府行の大阪商船すみれ丸より入水自殺
1930/5/20 昭和5年5月20日 海軍少佐、草刈英治が神戸発東京行き寝台列車内にて切腹
1930/6/19 昭和5年6月19日 京浜電鉄運輸課長、清水金造が中央線阿佐ヶ谷-荻窪間にて鉄道自殺
1930/7/14 昭和5年7月14日 弁護士、高根義人が東京市外、新井町新井宿2345の自宅にて首つり自殺
1930/7/25 昭和5年7月25日 新宿ほてい屋百貨店(後に伊勢丹に吸収)店主、西條清兵衛が大磯にて首つり自殺。遺体が発見される。死後約10日経過。
1930/7/31 昭和5年7月31日 埼玉県北埼玉郡不動岡町小学校長、松本徳之助が与野町二度栗山にて首つり自殺
1930/8/13 昭和5年8月13日 俳人、近藤焦雨が木曽川にて入水自殺
1930/9/18 昭和5年9月18日 前東京府議会議員、マレーゴム会社社長、脇田勇が自宅地下室にて首つり自殺
1930/9/18 昭和5年9月18日 前関西大学教授、樋口純が鳥取県西伯郡春日村の水車小屋内にて自殺
1930/10/13 昭和5年10月13日 上海副領事、清水亭が国鉄鎌倉扇ヶ谷トンネル内にて鉄道自殺
1930/11/2 昭和5年11月2日 霧社事件:霧社蛮童公学校元教師、巡査、花岡一郎ことダッキス・ノービンが切腹
1930/11/28 昭和5年11月28日 東京帝国大学文学部仏文学科、津島修治のちの太宰治が銀座のカフェ「ホリウッド」女給、田辺あつみ と鎌倉市腰越小動崎にてカルモチン心中、女性は死亡
1930/12/5 昭和5年12月5日 山形電気社長、塚田正一が山形市新宿西通りの自宅庭にて自殺
1930/12/13 昭和5年12月13日 茨城県結城郡水海道町の私立水海道裁縫女学校長、飯塚平五郎が水海道町諏訪町の自宅にて妻子を殺害後、家に放火、喉を切り自殺
1931/1/27 昭和6年1月27日 元力士、横綱2代目西ノ海嘉治郎が本所区亀沢町1-10自宅にて首つり自殺
1931/3/1 昭和6年3月1日 伊藤博文の次男、清水博春男爵が名古屋市熱田神宮境内ひょうたん池畔にて首つり自殺
1931/3/6 昭和6年3月6日 京橋樋町の鞄店店員須山禎郎が立川発大阪行きの旅客機から飛び降り自殺、日本初の航空機からの飛び降り自殺
1931/3/20 昭和6年3月20日 松竹蒲田の俳優、毛利輝夫が女優大町弘子と東海道線二宮―国府津間で鉄道自殺
1931/4/2 昭和6年4月2日 浅草、吉原郵便局長、伊東鶴二が東京市外練馬町3538付近にて武蔵野線(西武池袋線)電車に飛び込み自殺
1931/5/22 昭和6年5月22日 井上準之助蔵相邸爆破テロ事件に関与した後備陸軍歩兵中尉荒川精一が駒沢町弦巻28の自宅にて剃刀自殺、25日に死亡
1931/5/26 昭和6年5月26日 島津製作所株券偽造事件において、元島津製作所総務部長、福本久之助が京都市寺町今出川の自宅にて首つり自殺
1931/8/15 昭和6年8月15日 和歌山県の伊那合同銀行頭取、尾崎直市が和歌山県伊那郡隅田村垂井の共同墓地にて首つり自殺
1931/9/6 昭和6年9月6日 元衆議院議員、民政党、高木利平が埼玉県北葛飾郡彦成村大字上口の自宅にて首つり自殺
1931/12/12 昭和6年12月12日 井上清一中尉の妻、千代子が夫が満州へ出征する前夜、白木綿長襦袢姿で天皇の御真影を前に頸動脈を切り自殺。
1931/12/20 昭和6年12月20日 南画研究家、平田伊平が大阪市南区鰻谷中野町の自宅にて首つり自殺
1932/3/5 昭和7年3月5日 首なし娘事件:菓子職人、増淵倉吉が愛知県丹羽郡犬山町犬山橋下、犬山橋掛茶屋見晴亭物置小屋にて首つり自殺。愛人、岩田ます江19歳を殺害後、首、乳房、性器などを切り取り、頭皮を剥ぎ頭にかぶった状態で首つり、腐乱した状態で発見される。
1932/3/6 昭和7年3月6日 民政党代議士中村継男の選挙違反事件において、市ヶ谷刑務所に収容中の同代議士運動員、小林幸三郎が同刑務所13舎独房内にて首つり自殺
1932/3/28 昭和7年3月28日 上海事変にて中国国民党軍の捕虜となった空閑昇少佐が上海にて切腹後拳銃自殺
1932/4/17 昭和7年4月17日 東京人造絹糸取締役、繊維実業家、町田徳蔵が千葉の富津沖にて溺死体にて発見される。
1932/5/8 昭和7年5月8日 坂田山心中事件:慶応大学理財科3年調所五郎と湯山八重子が神奈川県大磯町東小磯852大磯駅北の坂田山にて昇汞水を飲み心中。映画『天国に結ぶ恋』のモデル。主題歌『天国に結ぶ恋』もヒット。坂田山ブームが巻き起こり、事件後同所にて1年間に30組以上の心中者が出た。
1932/6/19 昭和7年6月19日 中村宗郎が日本橋三越本店にて切腹。百貨店進出により廃業に追い込まれた周辺の中小商工者。決意書に「百貨店は中小商工業者ルンペン製造所なり」
1932/6/20 昭和7年6月20日 四・一六事件:共産党員、遠藤鉎胤と愛人土田ふみ子が千葉県銚子、犬吠埼にて飛び降り自殺
1932/6/24 昭和7年6月24日 東京帝国大学工学部教授、工学博士、井上範が東京帝国大学病院4階屋上より飛び降り自殺
1932/7/10 昭和7年7月10日 徳川慶喜の10男で勝海舟の養嗣子、勝精伯爵が渋谷町元広尾町1の愛人水野まさ宅にてカルモチン心中
1932/7/13 昭和7年7月13日 ピアニスト近藤柏次郎と新橋大和屋の芸者千代梅こと森本まさ子が代々幡町代々木山谷136にてガス心中
1932/7/31 昭和7年7月31日 8年前、大阪中央郵便局にて5万円を横領し逃走していた、元同局為替貯金課通信書記、前川勘三が東京府下八王子高尾山薬王院側、坊ヶ谷戸山中にて首つり自殺。遺体が発見される。
1932/8/19 昭和7年8月19日 新潟県飯塚村(現・長岡市)の18~22歳の男女4人が群馬県前橋市の国鉄両毛線にて鉄道自殺。乱交が公になり4人で家出中だった。
1932/9/15 昭和7年9月15日 作曲家、本居長世の父、元宮内省諸陵寮考証課長、増田干信が東京市外目黒町839の自宅離れにて首つり自殺
1932/11/6 昭和7年11月6日 独立青年社事件:独立青年社の児玉誉士夫が千葉県市川市の中山鬼子母神境内にてピストルで胸を撃ち自殺(未遂)
1932/12/10 昭和7年12月10日 上海事変にて中国国民党軍の捕虜となった西尾甚六少尉が、滋賀県東浅井郡大郷村大字川道1790の自宅にて首を切り自殺
1932/12/12 昭和7年12月12日 作家、中村進治郎とムーランルージュ新宿座の高輪芳子が四谷区番衆町127新宿園アパート2階14号にてガス心中(中村は助かる)。この事件がきっかけとなり、赤字続きだった新宿ムーランルージュは大盛況に。
1932/12/18 昭和7年12月18日 本郷江戸屋洋服店の小僧、小沢三郎が新宿駅にて鉄道自殺。「お弁当のない学校の貧しい子へ、この金でジャム付のパンを食べさせてください」と文部省に150円を郵送後に自殺。
1932/12/27 昭和7年12月27日 1930年、富士紡川崎工場の煙突上に籠城しストライキを支援した労働運動家、通称、煙突男こと田辺潔が横浜市万国橋付近にて失踪、翌年2月14日、横浜中華街近く、堀川谷戸橋付近にて水死体発見。自殺説が濃厚。
1933/1/8 昭和8年1月8日 実践女学校専門部国文科、真許三枝子が伊豆大島三原山火口に飛び降り自殺
1933/1/21 昭和8年1月21日 歌人、大熊長次郎が睡眠薬カルモチンをもちいて服薬自殺
1933/2/12 昭和8年2月12日 実践女学校専門部国文科、松本貴代子が伊豆大島三原山火口へ投身自殺、案内役をつとめた富田昌子が死を誘う女として話題になる。
1933/2/16 昭和8年2月16日 衆議院議員、櫻内辰郎の長女、櫻内本子が芝高輪車町44の自宅にて青酸カリを用いて服毒自殺
1933/2/18 昭和8年2月18日 三原山で2人の自殺者が出る。三原山で自殺が大ブームになる。前年、自殺者8名、未遂者30名だった三原山はこの年、944名の自殺者・未遂者を数えた。
1933/3/9 昭和8年3月9日 日本航空輸送研究所1等飛行士、久保田亀之助が大阪大正区木津川飛行場宿直室にて服毒自殺。
1933/3/31 昭和8年3月31日 元日活女優、妹尾まつが滋賀県彦根町4番町の酒場玉ノ家内にて首つり自殺。遺体が発見される。
1933/4/21 昭和8年4月21日 洋画家、木村磐男が大阪のカフェ女給、中川三八子と奈良公園近くの旅館にて首つり自殺
1933/4/22 昭和8年4月22日 元衆議院議員、斉藤元が仙台市北四番町152の自宅裏庭にて首つり自殺
1933/4/29 昭和8年4月29日 三原山自殺事件の富田昌子が変死(自殺?)
1933/5/6 昭和8年5月6日 青梅町議会議員、内田勝蔵が青梅市の自宅物置にて首つり自殺
1933/5/30 昭和8年5月30日 常総電鉄社長、山中彦兵衛が熱海錦ヶ浦の南、蘇我の崖上より飛び降り自殺
1933/6/17 昭和8年6月17日 足尾銅山争議委員、川出保蔵の妻で、婦人部の総指揮をしていた川出まつが東京中野区向台18の自宅にて猫いらずを飲み服毒自殺
1933/7/10 昭和8年7月10日 映画弁士、須田貞明(映画監督黒澤明の実兄)と愛人が伊豆湯が島温泉落合楼にてカルモチン、猫いらずを用いて服毒心中
1933/7/13 昭和8年7月13日 ヤマト糊の創業者、木内弥吉が東京神田区小川町66佐野病院3階16号室から飛び降り自殺
1933/7/25 昭和8年7月25日 東鉄運転課の鉄道技師、高橋休蔵が欧州留学から郵船香取丸にて帰国途中、地中海にて入水自殺
1933/8/24 昭和8年8月24日 ゴーストップ事件:事件を目撃した大阪府吹田市在住の高田善兵衛が国鉄吹田操車場内にて鉄道自殺
1933/9/26 昭和8年9月26日 九州大学法文学部助教授、淺野正一が鹿児島線水城-雑飼隈駅間にて鉄道自殺
1933/10/7 昭和8年10月7日 京都市役所理財課長、工藤尚雄が大阪商船室戸丸より入水自殺
1933/10/24 昭和8年10月24日 文部省宗教局国宝保存係製図技手、神谷吉五郎が淀橋区東大久保2-1の自宅にてカミソリで腹と喉を切り自殺
1933/11/2 昭和8年11月2日 衆議院議員、政友会前総務、熊谷巌が妻の実家、東京府芝区車町35、伊庭秀栄宅土蔵にて首つり自殺
1933/11/4 昭和8年11月4日 銀座松屋百貨店営繕部長、名執保平が大森-蒲田間にて鉄道自殺
1933/12/2 昭和8年12月2日 帝都教育疑獄:市立小石川高等小学校校長郡司宗雄が警視庁留置場にて首つり自殺
1933/12/14 昭和8年12月14日 大阪三品取引所常務理事、関東軍内地顧問、貴志喜四郎が関釜連絡船景福丸より入水自殺
1933/12/21 昭和8年12月21日 岩倉具視の孫、岩倉靖子が渋谷区鉢山町10、兄の岩倉具栄公爵宅にてカミソリで首を切り自殺
1934/2/8 昭和9年2月8日 東京市淀橋第五尋常小学校長、森梅三郎が神奈川県都築郡柿生村にて首つり自殺
1934/3/9 昭和9年3月9日 福岡県出身の失業者、福島新吉が前鐘紡社長、武藤山治と書生青木茂を北鎌倉駅近くの路上にて銃撃後、拳銃自殺。青木茂は即死、武藤山治は翌10日に死亡。
1934/4/3 昭和9年4月3日 日本基督教会信濃町教会牧師、高倉徳太郎が自宅にて自殺
1934/4/5 昭和9年4月5日 世界ランキング3位テニス選手、佐藤次郎がヨーロッパ遠征の帰途、マラッカ海峡通過中の日本郵船貨客船箱根丸から入水自殺
1934/4/16 昭和9年4月16日 ローマ駐在日本大使館付海軍駐在武官、大谷雄介がイタリア、ナポリのホテルロワイヤルにて首つり自殺
1934/4/28 昭和9年4月28日 洋画家、片多徳郎が名古屋市中区門前町西本願寺名古屋別院本堂裏墓地にて首つり自殺
1934/4/28 昭和9年4月28日 浅草松屋商品課長、山崎嘉吉が品川駅第3ホームにて鉄道自殺
1934/4/30 昭和9年4月30日 船員、森算次が横浜港繋留中の船室にて木炭を炊き一酸化炭素自殺。日本における練炭関連自殺の最も古い記録
1934/6/27 昭和9年6月27日 帝都教育疑獄:東京市臨川尋常高等小学校校長、小林幟が渋谷区永住町18の自宅にて首つり自殺
1934/7/1 昭和9年7月1日 千葉市長選挙買収事件の容疑者、日本大学付属中学校会計係、近藤徳之助が両国駅高架ホームから高架下へ飛び降り自殺
1934/7/1 昭和9年7月1日 千葉市長選挙買収事件で夫、近藤徳之助自殺を知った妻、近藤茂枝が南千住駅にて電車から線路へ飛び降り自殺
1934/7/2 昭和9年7月2日 帝都教育疑獄:荒川第三瑞光尋常小学校校長、福田徳太郎が足立区千住町5-88名倉病院裏の林にてカミソリで頸動脈を切り自殺
1934/7/24 昭和9年7月24日 天理教布教師、稲垣茂が神戸市の天理教脇浜宣教所にて7人を手斧で斬り付けた後に逃走、神戸横手海岸にて入水自殺
1934/8/9 昭和9年8月9日 破産した徳山銀行の元監査役、武弘達也が渋谷区宇田川町46の自宅台所にて首つり自殺
1934/8/14 昭和9年8月14日 日本橋白木屋エレベーターガール土戸志津枝が白木屋7階東非常梯子より飛び降り自殺
1934/8/17 昭和9年8月17日 横浜国際療院院長、畠山きくい がモルヒネを大量服用して自殺、翌18日死亡 横浜中華街にて貧困者へ医療支援活動をしていた
1934/10/22 昭和9年10月22日 内紛により天皇行幸が中止となった群馬県前橋市外産業組合製糸群馬社長、大久保佐一が同社重役室にてカミソリで首を切り自殺
1934/11/9 昭和9年11月9日 元東京府社会課職員、山田忠雄が中野区大和町74の自宅にてカルモチンをもちいて自殺
1934/11/15 昭和9年11月15日 作家、中村進治郎が中野区宮園通りアパート26号館階下2号室にて睡眠薬ジアールを用いて服薬自殺
1934/11/18 昭和9年11月18日 天皇が群馬県桐生市内を視察中、道を間違えた先導係、群馬県警察部衛生課警部、本多重平が前橋市内の自宅にて短刀で喉を突き自殺(未遂)
1934/11/25 昭和9年11月25日 横浜市疑獄:島根県土木課長、北原某が横浜刑務所第三未決独房1号室にて兵児帯で首を絞め自殺
1935/1/12 昭和10年1月12日 鳥取県教育会主事、河崎松一が鳥取県松保村の自宅にて日本刀をもちいて切腹後、頸動脈を切り自殺
1935/1/12 昭和10年1月12日 千葉県全農連合会書記、齋藤國光が千葉県八街町駅前公園内にて服毒自殺、翌13日死亡
1935/1/14 昭和10年1月14日 新交響楽団オーボエ奏者、平野政と許嫁、伊藤よし江が埼玉県入間郡鶴ヶ島村脚折の自宅にてカルモチンをもちいて心中
1935/1/19 昭和10年1月19日 文部省在外研究生としてアメリカ中学中の台南高等工業学校教授、志賀孝平がアメリカ大陸横断鉄道列車内にてナイフで喉を刺し自殺
1935/1/31 昭和10年1月31日 百万円小切手詐取で逃走中の王子製紙検査課長代理、渡辺亮作が東京大森区雪ケ谷409の元王子製紙テニスコートの廃屋にてカミソリで首を切り自殺(未遂)
1935/2/11 昭和10年2月11日 花柳流舞踊美誠会主宰、舞踏家 花柳徳之輔が日本橋区人形町3-4自宅にて首つり自殺
1935/3/17 昭和10年3月17日 東京帝国大学仏学科、津島修治のちの作家、太宰治が鎌倉八幡宮裏にて首つり自殺(未遂)
1935/3/21 昭和10年3月21日 神奈川県大磯町長、二宮長松が自宅物置にて首つり自殺
1935/3/21 昭和10年3月21日 松本商工会議所副会頭、石井祐介が松本駅にて鉄道自殺
1935/3/24 昭和10年3月24日 元衆議院議員、民政党、大野敬吉が収容先の市ヶ谷刑務所にて首つり自殺 恐喝事件で起訴
1935/3/28 昭和10年3月28日 陸軍少将、山内六郎が日光町願満ヶ淵山中にて首つり自殺。遺体が発見される。死後約1週間。
1935/5/1 昭和10年5月1日 アメリカ庭球視察団接待役、神戸大丸店員、大森やす子がホノルル沖を航行中の郵船秩父丸船から入水自殺
1935/5/16 昭和10年5月16日 横浜市疑獄:前神奈川県水道局長、橋坂武運三が横浜市神奈川区子安町大口594の自宅裏山にて兵児帯をもちいて首つり自殺
1935/5/23 昭和10年5月23日 横浜市疑獄:横浜ドッグ元取締役、生野鼎が大森山王1-2674の自宅庭にて榎に兵児帯をかけて首つり自殺
1935/5/26 昭和10年5月26日 神戸市経理課長、大久保禎一が自宅にて首つり自殺
1935/6/10 昭和10年6月10日 長野県立諏訪中学校長、山崎織治が自宅にて首つり自殺
1935/7/7 昭和10年7月7日 神奈川県鎌倉郡豊田村長、吉田庄蔵が戸塚警察署留置場内にて首つり自殺
1935/7/11 昭和10年7月11日 鰹節問屋にんべん高津商店監査役、清水米次郎が青山南町6-147の自宅地下物置にて出刃包丁で首を刺して自殺
1935/8/20 昭和10年8月20日 日本初の女性アナウンサー、翠川秋子と蒲田区役所職員藤県羊次が千葉県館山の館山湾上のボートより入水自殺、遺体は館山湾内西岬村坂田海岸に漂着
1935/8/29 昭和10年8月29日 女優、水久保澄子がカルモチンを用いて自殺(未遂)
1935/9/19 昭和10年9月19日 築地小劇場劇団員、南建眞が中野区野方、東京市療養所にて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1935/10/3 昭和10年10月3日 東京市千歳村議会議員、高橋瀧蔵一家6人を殺傷し逃亡していた、芹澤童治が下砧村大蔵山野1705(現・世田谷区立山野小学校)砧ゴルフリンク物置にて首つり自殺
1935/10/5 昭和10年10月5日 永田鉄山軍務局長暗殺事件において事件現場にいた山田長三郎大佐が世田谷区代田2の自宅2階にて軍刀で頸動脈を切り自殺
1935/10/5 昭和10年10月5日 横領事件をおこして失踪した神奈川県瀬谷銀行専務取締役、小島政八の白骨遺体が福島県湯本温泉近くの山中で発見される。死後約4ヶ月、首つり自殺。この日、瀬谷銀行は鎌倉銀行に吸収合併された。
1935/10/24 昭和10年10月24日 千島列島開拓事業団、報效義会会員で占守島を開拓した別所佐吉が占守島別飛河畔にて猟銃自殺
1936/1/23 昭和11年1月23日 大阪脱税疑獄:元大阪府議会議長 辻阪信次郎が大阪北区刑務支所独房にて首つり自殺
1936/2/28 昭和11年2月28日 226事件:近衛輜重兵大隊勤務 青島健吉中尉が目黒の自宅にて切腹、夫人も日本刀で自殺 遺書「皇軍の万歳を祈る」三島由紀夫の小説『憂国』のモデル
1936/2/29 昭和11年2月29日 226事件:陸軍大尉 野中四郎が陸相官邸で拳銃自殺
1936/2/29 昭和11年2月29日 226事件:歩兵第三連隊付 天野武輔少佐が第三連隊南広場にて拳銃自殺
1936/3/5 昭和11年3月5日 226事件:湯河原伊藤屋旅館に滞在中の牧野伸顕前内大臣を襲撃し捕らえられた航空兵大尉 河野寿が入院先の病院にて自殺、翌6日死亡
1936/3/9 昭和11年3月9日 大本教弾圧事件:大本教幹部、栗原七蔵が京都中立売署独房にてハンカチを用いて首つり自殺
1936/3/14 昭和11年3月14日 山梨県、見延山幼稚園園長代理、高見愛子が文通相手の長野県松本市の中込清と伊豆天城山八丁池付近にて心中。高見は絞殺、中込は首つり自殺。二人は心中2日前に初めて会った。
1936/3/22 昭和11年3月22日 福岡放送局の女子アナウンサー大坪静枝が大森区雪ヶ谷726の知人宅にて服毒自殺、翌23日未明死亡
1936/3/24 昭和11年3月24日 作家、牧野信一が小田原町新玉町2-400自宅寝室にて首つり自殺 代表作『父を売る子』『鬼涙村』
1936/3/30 昭和11年3月30日 板橋区役所会計課出納主任、中山和男が中野区新山通3-21の自宅にて切腹
1936/4/3 昭和11年4月3日 大久保光野男爵と妻房子が横浜市中区扇町1-22日米ホテルにてカルモチンをもちいて自殺
1936/4/8 昭和11年4月8日 六九銀行東京支店長、浅木兵市が芝区白銀台町1-33(現・白銀坂上の北側)の自宅にて妻子4人を殺害し自殺、13日に死亡
1936/4/11 昭和11年4月11日 岡山第六高等学校教授、三宅虎雄が岡山市西田町の自宅縁側にて短刀をもちいて喉をつき自殺
1936/4/18 昭和11年4月18日 西郷隆盛の孫、西郷隆徳が鹿児島市武町の実家裏庭の鉄棒にて首つり自殺
1936/4/19 昭和11年4月19日 作詞家、鹿山映二郎が愛人の芸者和千代と長野県塩尻峠にてカルモチンをもちいて心中
1936/4/23 昭和11年4月23日 洋画家、佐分眞が東京府下滝野川町西ヶ原1081の自宅兼アトリエにて首つり自殺
1936/4/27 昭和11年4月27日 陸軍工兵大佐、後藤和儀が大連にて自殺
1936/5/6 昭和11年5月6日 安田信託監査役、内閣調査局専門委員、中西次郎が渋谷区八幡通1-33の自宅にて首つり自殺
1936/5/7 昭和11年5月7日 松竹楽劇部声楽教師、安井義三が豊島区目白2-1-673の自宅にて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1936/6/17 昭和11年6月17日 海軍大学甲種学生、海軍少佐、堤正之男爵が目黒区柿ノ木坂693の自宅にて拳銃自殺
1936/7/24 昭和11年7月24日 光明外科医院院長、医学博士、小木釜太郎が荏原区中延町1-268の自宅兼病院にて狂乱、手術室にて妻の心臓を手術用ナイフで突き殺害後、自らも心臓にナイフを突き刺し自殺
1936/10/18 昭和11年10月18日 226事件にて起訴中の参謀本部付歩兵大尉 田中彌が代々木初台540の自宅にて拳銃自殺
1936/10/20 昭和11年10月20日 元韓国統監、曾彌荒助子爵の娘曾彌敏子が世田谷区世田谷1-61、実兄曾禰又男宅にて首つり自殺 なお敏子の長兄は曾禰安輔子爵、次兄は千葉心中事件で有名な芳川寛治伯爵
1936/10/24 昭和11年10月24日 社会大衆党麹町支部書記長、中西良次と、同党青年部長、渡辺五郎が山梨県都留郡丹波村の山林にて服毒自殺。遺体が発見される
1936/11/2 昭和11年11月2日 後宮淳大将の次男で陸軍少尉、後宮二郎が軍人勅諭の朗読中1文字間違えた翌々日未明、和歌山歩兵第六十一連隊第三中隊宿舎にて拳銃自殺
1936/11/20 昭和11年11月20日 中国山海関守備隊長、陸軍少佐古田龍三が冀察政府保安部隊との交戦の責任をとり冀東区玉田県東揚庄子にて切腹
1936/12/25 昭和11年12月25日 タクシー運転手助手、竹谷竹治が品川区北品川3-95タクシー長坂方の車庫に駐車した36年式シボレー車内にて練炭火鉢を用いて練炭自殺。
1937/3/20 昭和12年3月20日 太宰治が妻初代と谷川温泉にてカルモチンを用いて心中(未遂)
1937/7/15 昭和12年7月15日 茨城県水戸市の常陽銀行監査役、坂入興兵彌が茨城県筑波郡菅間村の自宅にて猟銃自殺
1937/10/3 昭和12年10月3日 佐藤主計大尉の妻、梅子が新婚旅行で訪れた伊豆熱川、玉翠館ちかくの海へ入水自殺。翌日、稲取海岸で遺体発見。佐藤大尉は中国保定の空戦にて戦死。
1937/10/14 昭和12年10月14日 水稲農林1号を開発した新潟農林水産試験場技師 並河成資が自殺 農林1号は耐寒性に優れ悪天候に強く、戦後の天候不順による食糧難を救った品種。コシヒカリは同種と農林22号を交配し作られた。
1937/11/7 昭和12年11月7日 元共産党東京委員長、前納善四郎が神奈川県足柄下郡酒匂村綱一色八幡神社境内にて首つり自殺
1937/11/26 昭和12年11月26日 阪和電鉄社長、木村清が堺市東郊上野芝住宅地の自宅にて剃刀で首を切り自殺
1937/12/25 昭和12年12月25日 日本ピストンリング会社社長の息子で同社鋳造課長、鈴木和保と女が静岡県浜名湖畔新居町新居弁天小波旅館にて服毒心中
1938/2/7 昭和13年2月7日 元本郷区議会議員、本郷庄太郎が本郷区駒込明神町283待合三笠の自宅を放火後、田端駅にて鉄道自殺
1938/3/19 昭和13年3月19日 死なう団日蓮会青年部員、今井千世子が蒲田区糀谷2-2750死のう団本部にて服毒自殺
1938/3/20 昭和13年3月20日 死なう団日蓮会青年部員で団長江川櫻堂の弟、青木桜花こと万寿吉が蒲田区糀谷町2-2980江川家実家にて短刀で腹を刺し服毒自殺 この日の朝、江川櫻堂は死去
1938/3/20 昭和13年3月20日 死なう団日蓮会青年部員で19日に自殺した今井千世子の妹、今井みよ と同部員、三輪妙子が蒲田区糀谷2-2750死のう団本部にて服毒自殺、三輪が絶命。
1938/3/23 昭和13年3月23日 津村理化学研究所営業部長、室岡金蔵が池袋駅南約50mにて山手線内回り電車に飛び込み自殺
1938/5/22 昭和13年5月22日 津山30人殺し:都井睦雄が荒坂峠にて猟銃自殺
1938/5/28 昭和13年5月28日 山一証券前社長、太田収が渋谷区豊分町1の自宅にて服毒自殺。相場師として兜町の飛将軍と呼ばれていた
1938/6/6 昭和13年6月6日 元三菱商事ニューヨーク支店生糸部社員、ニューヨーク在留邦人で演劇研究家、伊藤謁雄がブロードウェイのアパートにてガス自殺
1938/6/10 昭和13年6月10日 日蓮会殉教衆青年党(通称”死のう団”)青年部員、渡辺櫻誠こと忠儀が浦賀発千葉行き連絡船湘南丸から浦賀水道に入水自殺
1938/9/6 昭和13年9月6日 東京高等歯科医学校助教授、小杉宿三久が淀橋区百人町2-90の自宅にて首つり自殺
1938/9/19 昭和13年9月19日 落語家、初代桂ざこばが自殺
1938/10/3 昭和13年10月3日 体操選手、ベルリンオリンピック代表選手、角田不二夫が大阪天保山発徳島行き阿波共同汽船うらら丸から瀬戸内海へ入水
1938/12/2 昭和13年12月2日 歌人、江口きちが兄と共に青酸カリを用いて服毒自殺
1939/1/10 昭和14年1月10日 作家、井上正義が淀橋区百人町3-352の自宅にてガス自殺 代表作『患者輸送班』
1939/6/11 昭和14年6月11日 帝国コークス常務取締役、奥田四郎が熱海の別荘にて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1940/5/11 昭和15年5月11日 靈氣療法師範、林忠次郎が自殺
1940/5/28 昭和15年5月28日 航空精機製作所社長、佐野雄が詐欺容疑で取調中、警視庁一階便所にてカミソリをもちいて自殺、翌29日死亡
1940/7/18 昭和15年7月18日 ろう教育者で口話法の推進者、西川吉之助が自殺
1941/3/13 昭和16年3月13日 靖国神社参拝を拒否し憲兵隊に検挙、連行されたホーリネス派日本聖教会函館聖教会牧師補、小山宗祐が第一回公判の翌朝、獄中内で首つり自殺(ただし、遺体の状況から憲兵隊による拷問死の可能性が高い)
1941/3/14 昭和16年3月14日 大阪医師会長、合田病院長、合田民蔵が大阪市北区刑務支所内独房にて首つり自殺
1941/4/7 昭和16年4月7日 日本郵船ボンベイ支店長、上村廣治がボンベイの自宅にて首つり自殺
1941/7/21 昭和16年7月21日 神戸瓦斯監査役、松葉恭助が神戸市灘区の阪急兵庫駅にて鉄道自殺
1941/10/10 昭和16年10月10日 ゾルゲ事件:洋画家、社会運動家、宮城与徳築が地警察署2階取調室の窓から飛び降り自殺(未遂)
1941/10/12 昭和16年10月12日 台湾の台北高等学校教授、川南宏が台北市昭和町の自宅にて首つり自殺
1941/11/23 昭和16年11月23日 歌手、関屋敏子が品川区下大崎1-86の自宅にて首つり自殺
1942/3/11 昭和17年3月11日 岐阜高等農林学校長、山桝忠好が同校農場にて首つり自殺
1942/5/20 昭和17年5月20日 長崎港外で機雷に接触し沈没した東亜海運の長崎丸船長、菅源三郎が東亜海運汽船長崎支店にて切腹
1942/6/5 昭和17年6月5日 空母蒼龍艦長、海軍大佐、柳本柳作、ミッドウェー海戦において沈没する空母蒼龍と運命を共にする
1942/6/6 昭和17年6月6日 海軍中将、山口多聞、ミッドウェー海戦において沈没する空母飛龍と運命を共にする
1942/8/21 昭和17年8月21日 陸軍少将、 一木清直がガダルカナル島戦の責任をとって自殺
1942/11/9 昭和17年11月9日 濱松事件:中村誠策の父中村文貞が浜名郡中ノ町村の天竜川にて入水自殺、遺体が発見される。推定入水日は7日夜。中村誠策は聾唖で1941年から翌1942年にかけて17名を殺傷する連続殺人事件をおこしていた。 
1942/11/19 昭和17年11月19日 陸軍中将、堀井富太郎がポートモレスビー戦の責任をとって自殺
1943/2/18 昭和18年2月18日 大森ホテル専務取締役、藤原政行が川崎市登戸657地先山林にて首つり自殺
1943/8/29 昭和18年8月29日 呉海軍工廟造機部、海軍技術中尉、伊藤高が呉水行社にて切腹
1943/9/25 昭和18年9月25日 浦賀ドック寄宿舎舎監、小林今朝市が同寄宿舎近くの畑にて切腹
1943/10/26 昭和18年10月26日 政治家、中野正剛が東条内閣を批判、造言蜚語容疑で逮捕・保釈後、代々木本町808の自宅にて切腹
1944/7/6 昭和19年7月6日 陸軍中将、斉藤義次と南雲忠一、サイパン島にて玉砕
1944/7/7 昭和19年7月7日 サイパン島バンザイクリフにおいて集団飛び降り自殺 犠牲者千人以上。
1944/8/3 昭和19年8月3日 陸軍中将、水上源蔵が北ビルマ、ミイトキーナの戦いにおいて転進を命じた後に拳銃自殺
1944/8/11 昭和19年8月11日 陸軍大将、グアム島守備隊司令官、小畑英良が自殺
1944/10/15 昭和19年10月15日 海軍中将、有馬正文、台湾沖にて飛行機による体当たり攻撃を敢行
1944/10/25 昭和19年10月25日 フィリピン、マバラカット基地から最初の神風特別攻撃隊、敷島隊が出撃する。終戦までに約3700人が特攻隊で死亡。
1944/11/19 昭和19年11月19日 西太平洋西カロリン諸島ウルシー環礁にて、最初の人間魚雷「回天」菊水隊が出撃する。
1944/11/24 昭和19年11月24日 南太平洋ペリリュー島守備隊隊長、陸軍大佐、中川州男がペリリュー島にて「サクラサクラ」の電文を発信後、村井権治郎少将、飯田義栄中佐とともに切腹、部隊は玉砕
1945/3/21 昭和20年3月21日 鹿児島県鹿屋基地から最初の有人ロケット兵器「桜花」第一神風特別攻撃隊神雷部隊が出撃。
1945/4/7 昭和20年4月7日 菊水一号作戦中の戦艦大和艦長、海軍大佐有賀幸作、坊ノ岬沖にて沈没する大和と運命を共にす
1945/5/13 昭和20年5月13日 ドイツから潜水艦U234号にて帰国途中の海軍技術大佐、友永英夫と庄司元三が、北大西洋ニューファンドランド島沖にて睡眠薬をもちいて服薬自殺、翌日同艦は降伏し、米海軍の護衛駆逐艦「サットン」に拿捕された。
1945/5/23 昭和20年5月23日 後の首相、竹下登の妻、政江が首つり自殺。前年3月に結婚。当時、竹下登はは早大生で学徒出陣中。
1945/6/13 昭和20年6月13日 海軍中将、沖縄方面根拠地隊司令官、大田実が沖縄、豊見城村の軍司令部壕にて拳銃自殺 『沖縄縣民斯ク戦ヘリ
 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』の電文を遺す。
1945/6/22 昭和20年6月22日 陸軍中将、藤岡武雄が沖縄、摩文仁にて自殺
1945/6/23 昭和20年6月23日 陸軍大将、沖縄防衛軍司令官、牛島満が摩文仁丘の洞窟内司令部にて切腹
1945/6/30 昭和20年6月30日 陸軍中将、 雨宮巽が沖縄にて自殺
1945/6/30 昭和20年6月30日 陸軍少将、独立混成第44旅団長 鈴木繁二が沖縄シュガーローフ戦後に自殺
1945/7/26 昭和20年7月26日 ヴィシー政権時代に駐フランス全権大使だった千葉蓁一が妻、美代子とともにトルコ、アンカラにて自殺(美代子は北里柴三郎の長女)
1945/8/8 昭和20年8月8日 朝鮮公族、李偶(人偏を金偏に)公御付武官、陸軍大佐、吉成弘が原爆で亡くなった李公の遺体を収容した広島市似島にて右頸動脈を軍刀で切り自殺
1945/8/12 昭和20年8月12日 麻山事件:満州哈達河開拓団が満州国鶏寧県麻生区において、ソビエト軍戦車部隊と満州国反乱軍の襲撃を受け集団自殺、421人が死亡。参考『麻山事件 満州の野に婦女子四百余名自決す』(草思社)中山雪子著
1945/8/13 昭和20年8月13日 小山克事件:満州国吉林省小山克にて、在留邦人の避難列車が暴徒の襲撃を受け、100人以上の避難民(主に女性)が崖から飛び降り自殺。
1945/8/14 昭和20年8月14日 葛根廟事件:満州国興安総省興安街在住の日本人が葛根廟近くにてソ連軍の攻撃を受けた際、多数が自殺。死者1000人以上
1945/8/15 昭和20年8月15日 玉音版クーデター事件:宮城事件の首謀者、椎崎二郎陸軍中佐と畑中健二陸軍少佐が皇居二重橋と坂下門の間の松林にて拳銃自殺
1945/8/15 昭和20年8月15日 陸軍少佐、古賀秀正が玉音放送終了直前に近衛第1師団司令部2階にて切腹後拳銃自殺
1945/8/15 昭和20年8月15日 陸軍大臣、阿南惟幾が陸相官邸にて切腹
1945/8/15 昭和20年8月15日 海軍中将、宇垣纏が最後の神風特攻隊として出撃
1945/8/15 昭和20年8月15日 陸軍航空技術審査部総務部長、陸軍少将、隈部正美が立川飛行場南端にて一家5人で拳銃自殺
1945/8/15 昭和20年8月15日 陸軍中将、寺本熊市が淀橋区戸山ヶ原の陸軍戸山学校(現・都立戸山公園箱根山付近)にて切腹後、拳銃自殺
1945/8/15 昭和20年8月15日 第五師団長、陸軍中将、山田清一がインドネシア、セラム島司令部にて自殺
1945/8/16 昭和20年8月16日 海軍中将、神風特攻隊の創設者、大西瀧治郎が渋谷区南平台の軍令部官舎にて切腹
1945/8/17 昭和20年8月17日 満州国ハルピン市郊外にて来民開拓団276名が集団自殺275名死亡
1945/8/17 昭和20年8月17日 満州国ハルビン市北の呼蘭河にて、第十三次大兵庫開拓団、通称高橋村開拓団400名以上が集団入水自殺、299名死亡。
1945/8/17 昭和20年8月17日 陸軍少佐、晴気誠が市ヶ谷の陸軍大本営内、大正天皇御野立所前(現・晴気少佐慰霊碑)にて切腹
1945/8/17 昭和20年8月17日 糸川英夫らと共に赤外線誘導爆弾ケ号の開発に携わった陸軍少佐、大石猪太郎が静岡県浜松市館山寺山上にて拳銃自殺
1945/8/17 昭和20年8月17日 第137師団長、陸軍中将、秋山義兌が北朝鮮咸興で切腹
1945/8/18 昭和20年8月18日 人間魚雷回天、平生基地所属、回天特別攻撃隊教官、橋口寛が同基地の回天操縦席にて拳銃自殺
1945/8/18 昭和20年8月18日 有人ロケット兵器「桜花」発案者、大田正一特務少尉が「東方洋上に去る」との遺書を残し茨城県神ノ池基地から零式練習戦闘機で出撃し行方不明に。しかし自殺は偽装であり、海上へ不時着後漁船に救助され偽名で関西に潜伏、1994年82歳で死亡した。
1945/8/19 昭和20年8月19日 国文学者、陸軍中尉 蓮田善明がインドネシア・ジョホールバルにて上官を射殺後拳銃自殺
1945/8/19 昭和20年8月19日 陸軍大尉、上原重太郎が埼玉県豊岡の陸軍士官学校裏航空神社前にて切腹
1945/8/19 昭和20年8月19日 陸軍中佐、陸軍決死団(本土決戦の為の部隊)第203連隊第2隊長、銕尾隆が千葉県印旛郡四街道町宥妙寺にて切腹、妻玉憙もその場で拳銃自殺。後、自殺現場に聖観世音菩薩が建立
1945/8/19 昭和20年8月19日 陸軍中野憲兵学校、陸軍憲兵軍曹、近藤巌が靖国神社社殿前にて自殺
1945/8/19 昭和20年8月19日 水戸教導航空通信師団、小隊長・松島利雄少尉が上野美術学校内にて自殺。水戸教導航空通信師団は終戦後、徹底抗戦を呼びかけ美術学校に籠城中だった。
1945/8/20 昭和20年8月20日 樺太、真岡郵便局電話交換手、高石ミキら9人が青酸カリを用いて集団服毒自殺
1945/8/20 昭和20年8月20日 九州海軍軍需監理局第二兵器課長、海軍技術中佐、長島秀男と部下の寺尾博之が福岡市油山中腹にて切腹。後に同地に自刃の碑が建立
1945/8/20 昭和20年8月20日 満州映画協会理事、元憲兵大尉、甘粕正彦が青酸を用いて服毒自殺
1945/8/21 昭和20年8月21日 海軍佐世保軍需部、海軍大尉、長瀬武が妻外志子と共に佐世保前畑火薬庫裏の丘にて拳銃自殺
1945/8/21 昭和20年8月21日 満州国治安部次長、ハルピン学院長、渋谷三郎がハルピン市内の自宅にて妻子とともに拳銃自殺
1945/8/22 昭和20年8月22日 愛宕山集団割腹自殺事件:尊攘同志会、飯島与志雄ら会員12名が東京都港区の愛宕山にて手榴弾をもちいて集団自殺。10人死亡。
1945/8/22 昭和20年8月22日 海軍軍令部参謀、海軍少佐、國定謙男が茨城県土浦市真鍋町善応寺裏の丘にて妻子とともに拳銃自殺
1945/8/23 昭和20年8月23日 皇居前広場自殺事件:明朗会会長、日比和一ら会員12名が皇居前、祝田橋交差点近くにて集団自殺
1945/8/23 昭和20年8月23日 徳島海軍航空隊、海軍中尉、中原一雄が徳島県松茂町笹木野にて機銃をもちいて自殺 後に自殺現場である徳島海上自衛隊基地内に慰霊碑が建立
1945/8/23 昭和20年8月23日 陸軍立川航空工廟木津分工場長 陸軍航空中尉、肥田武が石川県七塚町木津の海岸にて切腹 後に現場に肥田様塚が建立
1945/8/24 昭和20年8月24日 元尊攘同志会、皇国義勇軍の岡崎功が島根県松江警察署剣道場にて鎧通しで腹と喉を突き自殺(未遂)。日本最後のクーデター島根県庁焼き打ち事件のリーダーだった。
1945/8/24 昭和20年8月24日 代々木練兵場集団自殺事件:大東塾塾長代行影山庄平ら塾生14名が代々木練兵場にて切腹 後に現場の代々木公園西に大東塾十四烈士の碑建立
1945/8/24 昭和20年8月24日 東部軍司令官、陸軍大将、田中静壷が予備士官学校の生徒による川口放送局占領事件を解決した後、東部軍管区司令官室にて拳銃自殺
1945/8/25 昭和20年8月25日 海軍中尉、松尾秀輔が大神突撃対練兵場にて手榴弾にて爆死
1945/8/26 昭和20年8月26日 トーマス・グラバーの次男、倉場富三郎が長崎の自宅にて自殺
1945/8/27 昭和20年8月27日 敦化事件:満洲国吉林省敦化にて日満パルプ製造敦化工場の女性社員や家族28名がソ連兵から集団暴行を受け集団自決、23名死亡
1945/8/27 昭和20年8月27日 愛宕山で集団自殺した尊攘同志会の夫人、茂呂かよ子ら3人が同所にて拳銃自殺
1945/8/28 昭和20年8月28日 陸軍憲兵曹長、上遠野勇吉が3日前に自殺したインドネシア独立の志士ラデン・アブドル・カリム青年の墓前にて拳銃自殺
1945/8/31 昭和20年8月31日 伊号第四〇一潜水艦艦長 有泉龍之介大佐が米軍投降後、自殺
1945/9/1 昭和20年9月1日 台湾で大規模灌漑用水を作った技師八田興一の妻、外代樹が台湾、烏頭山ダムにて入水自殺
1945/9/2 昭和20年9月2日 海軍中将、近畿海軍軍需監督部長、森住松雄が同部にて自殺
1945/9/3 昭和20年9月3日 「いざ来いニミッツ、マッカーサー出てくりゃ地獄に逆落とし」の名コピーを生んだ、大本営報道部部長、陸軍大佐、親泊朝省が東京都小石川区大原町21番の自宅にて妻子とともに拳銃自殺
1945/9/4 昭和20年9月4日 第一総軍法務部長、陸軍法務中将、島田朋三郎が赤坂霊南坂の陸軍宿舎内にて拳銃自殺
1945/9/6 昭和20年9月6日 陸軍大尉、小野寺謙介が埼玉県飯能市観音寺の墓地にて落下傘を敷き切腹。後に自決場所に自決の地碑が建立
1945/9/6 昭和20年9月6日 釜山海軍航空基地第352設営隊副長、安平敏隆が釜山にて拳銃自殺
1945/9/7 昭和20年9月7日 インドネシア独立運動の小スンダ建国同志会に日本人で唯一参加した実業家、三浦襄が約束を果たせなかったとバリ島にて拳銃自殺
1945/9/12 昭和20年9月12日 本土防衛総軍司令官で元帥、陸軍大将 杉山元が横浜第8軍司令部にて拳銃自殺、知らせを聞いた妻啓子は青酸カリを飲み短刀を喉に刺して自殺
1945/9/13 昭和20年9月13日 元厚生大臣、陸軍中将、小泉親彦が淀橋区西落合1-165自宅2階茶室にて軍刀を用いて切腹
1945/9/13 昭和20年9月13日 陸軍中将、中部国民勤労訓練所所長、城倉義衛が同所内にて拳銃自殺
1945/9/14 昭和20年9月14日 元文部大臣、橋田邦彦が杉並区荻窪1-59自宅にて服毒自殺
1945/9/14 昭和20年9月14日 杉山元帥夫妻の葬儀責任者、陸軍大将、吉本貞一が葬儀終了後、市ヶ谷第1総軍司令部にて拳銃自殺
1945/9/15 昭和20年9月15日 ボルネオ島クチン俘虜収容所長、陸軍大佐、菅辰次がアブアン島の収容所にて洋食用ナイフを用いて自殺
1945/9/16 昭和20年9月16日 第29戦闘隊特攻隊長、陸軍中尉、橘健康が台湾台中飛行場の愛機疾風号コクピット内にて拳銃自殺
1945/9/17 昭和20年9月17日 満州国北安省(現中華人民共和国黒龍江省)瑞穂村にて瑞穂村開拓団が青酸カリを用いて集団服毒自殺。入植者1056人中、495人が死亡。翌年5月ハルピンにて引揚時の団残存者は71名。
1945/9/17 昭和20年9月17日 18方面軍参謀次長、陸軍中将、濱田平がタイ、バンコクにて自殺
1945/9/17 昭和20年9月17日 陸軍中将、篠塚義男が渋谷区代々木初台517の自宅にて右頸動脈を切り自殺
1945/10/5 昭和20年10月5日 第64警備隊司令、陸軍少将、升田仁助がグアム島にて自殺
1945/10/13 昭和20年10月13日 8月19日に上野美術学校で自決した水戸教導航空通信師団、松島利雄少尉の弟、海軍中尉、松島貞雄が水戸市の自宅玄関にて拳銃自殺
1945/11/30 昭和20年11月30日 元陸軍大将、本庄繁が陸軍大学校(現・港区立青山中学校)内補導会理事長室内にて切腹
1945/12/13 昭和20年12月13日 先島群島日本軍司令官で宮古島第28師団長、陸軍中将、納見敏郎が宮古島にて自殺
1945/12/16 昭和20年12月16日 貴族院議員、近衛文麿が荻窪の荻外荘にて青酸カリを用いて服毒自殺
1945/12/31 昭和20年12月31日 作家、生田葵山が瀬戸内海播磨灘にて入水自殺 代表作『都会』『和蘭皿』
1946/1/30 昭和21年1月30日 元・原理日本社長 蓑田胸喜が熊本県八代郡吉野村の自宅にて首つり自殺
1946/2/13 昭和21年2月13日 陸軍大佐、棚橋眞作が熊本県菊池郡西合志町黒石日吉神社境内にて自殺
1946/3/23 昭和21年3月23日 第4軍司令官、陸軍中将、上村幹男がソ連ハバロフスク収容場にて自殺
1946/3/23 昭和21年3月23日 和歌山県伊都郡恋野村村長、中谷安太郎の溺死体が同村の滝にて発見される
1946/4/13 昭和21年4月13日 台湾軍第12師団長、陸軍中将、人見秀三が台湾にて拳銃自殺
1946/4/19 昭和21年4月19日 台湾総督、陸軍大将 安藤利吉が上海拘留所にて青酸カリを用いて服毒自殺
1946/5/18 昭和21年5月18日 広田弘毅の妻静子が藤沢市の自宅にて服毒自殺
1946/6/21 昭和21年6月21日 長春第8病院、元陸軍従軍看護婦井上鶴美以下22名の看護婦が、同病院3階宿舎にて青酸カリを用いて集団服毒自殺。ソ連兵の暴行にたいして抗議の自殺。
1946/7/18 昭和21年7月18日 九州大学生体解剖事件:九大第一外科部長の石山福二郎教授が自殺 遠藤周作の小説『海と毒薬』のモデル
1946/8/12 昭和21年8月12日 陸軍大尉、池葉東馬がラバウル戦犯収容所内にて自殺
1946/9/17 昭和21年9月17日 陸軍中将で大陸鉄道司令官の草場辰巳が極東国際軍事裁判にソ連側証人として出廷する直前に自殺
1946/10/4 昭和21年10月4日 海軍警部、修多羅浩がセレベス島マカッサル戦犯収容所にて自殺
1946/10/26 昭和21年10月26日 旧制第一高等学校文科3年原口統三が逗子海岸なぎさホテル前海岸にて入水自殺 後に遺稿集『二十歳のエチュード』が出版され
1946/12/10 昭和21年12月10日 陸軍中将、小泉恭治が東京都三鷹市下連雀113の自宅にて切腹
1947/1/17 昭和22年1月17日 白馬事件で中心的な役割を果たした大久保朝雄元陸軍大佐が仙台にて自殺
1947/4/25 昭和22年4月25日 収賄で逮捕され制服のまま新潟刑務所に収容された新潟署長、軽部要作が同所独房内にて首つり自殺
1947/4/28 昭和22年4月28日 インパール作戦ビルマ烈兵団参謀、陸軍少佐、野中国男がビルマにて自殺
1947/6/12 昭和22年6月12日 鹿児島県教育民生部長、石村光三が鹿児島市公会堂屋上より飛び降り自殺
1947/7/8 昭和22年7月8日 法医学者、名古屋帝国大学教授、小宮喬介がヤミもみ消し運動の収賄容疑で逮捕、名古屋警察署留置場内にて首つり自殺(未遂)
1947/8/29 昭和22年8月29日 海軍上等衛生兵曹、小川和一が巣鴨の戦犯収容所にて自殺
1947/9/9 昭和22年9月9日 海軍特務機関「錦隊」要員、窪田典人がティモール島クーダン東方山中にて自殺
1947/9/10 昭和22年9月10日 ニューギニア派遣軍司令官、陸軍中将、安達二十三がラバウルにて切腹
1947/9/25 昭和22年9月25日 元枢密院議長、法学博士 清水澄が天皇制護持の遺書を残して熱海錦ヶ浦北の魚見崎より飛び降り自殺
1947/9/26 昭和22年9月26日 京都府立第二高等女学校3年、中沢節子が服毒自殺。後に遺稿集『花ちりぬ』が出版された。
1947/10/11 昭和22年10月11日 福岡県在住の田中伊勢吉が皇居二重橋前にて切腹し松の木で首つり自殺。
1947/10/11 昭和22年10月11日 裁判官、山口良忠が餓死自殺?
1947/12/8 昭和22年12月8日 福島県白河の国立種畜牧場(現・家畜改良センター)牧場長、農林省技官、相馬久三郎が昇汞水を飲み自殺
1947/12/12 昭和22年12月12日 身元不明の男が皇居楠像付近にて首つり自殺
1948/1/20 昭和23年1月20日 画家、三橋六郎がレオナルド・ローレンス米軍曹長の妻シルバーと東急東横線高島町駅前にて青酸カリを用いて服毒自殺
1948/2/19 昭和23年2月19日 神田の大手古本屋、巌松堂店主、波多野一が神奈川県二ノ宮町山西979の自宅にて首つり自殺
1948/3/23 昭和23年3月23日 広島のヤクザ山上光治が広島市の果物店にて五右衛門風呂の風呂釜内に入り拳銃自殺 映画『仁義なき戦い広島死闘編』山中正治のモデル
1948/4/8 昭和23年4月8日 蒲田一家7人心中事件、中蒲田1-6-2の農家にて家長が家族6人を鉈で惨殺後、古井戸に飛び込み自殺
1948/6/13 昭和23年6月13日 作家、太宰治が山崎富栄と共に玉川上水に入水自殺。19日に遺体発見。代表作『人間失格』『斜陽』
1948/9/8 昭和23年9月8日 陸軍少佐、折田優が巣鴨の戦犯収容所にて自殺。遺書「斯くなる上は元将校として、日本人として立派な態度で挑む覚悟です。貴方も決して取り乱さないように、立派に強く生き抜いて下さい。そして美智子を立派に育ててください。頼みます」
1948/11/1 昭和23年11月1日 7月8日に青酸カリを持って失踪した元子爵、昆虫学者の高木正徳の縊死白骨遺体が奥多摩雲取山中にて発見される。当時、没落した元華族は斜陽族と呼ばれていた。
1948/12/4 昭和23年12月4日 富士証券社長、鈴木年人が西武池袋線東長崎-椎名町間にて鉄道自殺
1949/1/7 昭和24年1月7日 大阪、北野高校2年、川本悟郎と山口忠明が兵庫県宝塚市武田尾警告にて服毒自殺。二人は一年前に「わだつみ会」という哲学研究会をつくり、会員同士で自殺の協約書を作成していた。
1949/3/22 昭和24年3月22日 銀行法違反で業務停止命令を受けた私設銀行、広島利殖銀行社長、沖田忠雄が広島県甲牛町の自宅にて一家6人を絞殺後、首つり自殺
1949/4/9 昭和24年4月9日 見習い看護婦6人が神戸市葺合日暮通1、済生会兵庫県病院看護婦宿舎10号室にて青酸カリを用いて集団服毒自殺、4人が死亡
1949/4/18 昭和24年4月18日 丸ノ内証券専務、樋口正雄が新宿区下落合4-2154先にて西武新宿線に飛び込み自殺
1949/5/9 昭和24年5月9日 俳優座の女優、堀阿佐子が自宅にて自殺
1949/5/10 昭和24年5月10日 吉村隊、暁に祈る事件において、渡辺広太郎元軍曹が栃木県那須野黒磯町の自宅近く山林にて首つり自殺
1949/5/31 昭和24年5月31日 大阪、北野高校3年、村上邦弘が奈良で服毒自殺。1月7日に自殺した川本悟郎らと同じ「わだつみ会」に属していた。遺留品に自殺の協約書が発見された。
1949/6/1 昭和24年6月1日 詩人、長沢延子が服毒自殺 19年後に遺稿集『友よ私が死んだからとて』が出版された。
1949/7/6 昭和24年7月6日 下山事件:国鉄総裁 下山定則が常磐線の東武伊勢崎線跨線橋北東(現在は五反野コミュニティ公園近く)にて下り貨物電車に飛び込み自殺。(なお、遺族は事件は他殺であるとして7月5日を命日としている。)
1949/7/30 昭和24年7月30日 東京都千代田区一ツ橋の共立女子大にて、同校卒業生の植村友江と、同性愛相手の榊千賀子が抱き合いながら5階体操教官室から校庭へ飛び降り自殺
1949/8/8 昭和24年8月8日 下山事件現場にて、小児麻痺の17歳、中丸清司が鉄道自殺 
1949/8/10 昭和24年8月10日 元衆議院議員、民主自由党金沢支部長、殿田孝次が金沢市里見町の自宅物置にて首つり自殺
1949/9/2 昭和24年9月2日 参議院議員、東浦庄治が世田谷区世田谷2-1337の自宅2階にて首つり自殺
1949/9/14 昭和24年9月14日 元貴族院議員、渋沢金蔵が群馬県太田市の自宅にてナイフで首を切り自殺
1949/11/3 昭和24年11月3日 作家、 田中英光が師太宰治墓前にて睡眠薬アドルムを大量服用後手首を切り自殺 代表作『オリンポスの果実』
1949/11/24 昭和24年11月24日 ヤミ金融、光クラブ社長、山崎晃祠が銀座松屋裏の事務所にて青酸カリを用いて服毒自殺、翌25日に死亡確認
1949/12/16 昭和24年12月16日 埼玉県蕨中学校教頭、菅磐源三が大船駅にて鉄道自殺
1949/12/26 昭和24年12月26日 東京工業株式会社重役、平田半六が港区芝の札の辻陸橋より飛び降り鉄道自殺
1949/?/? 昭和24年 フランシスコ・ザビエル渡来400年祭の行われた長崎、浦上天主堂にて自殺者が増加、一時期社会問題に
1950/1/4 昭和25年1月4日 悪魔のキューピーこと広島ヤクザ大西政寛が拳銃自殺 映画『仁義無き戦い』若杉寛のモデル
1950/1/15 昭和25年1月15日 元関東軍報道部、川島芳子の恋人だった山家亨少尉が山梨の奈良田温泉にて首つり自殺。遺体が発見される。
1950/3/5 昭和25年3月5日 風船爆弾の考案者、工学博士 大槻俊郎が静岡県東伊豆町片瀬温泉、龍淵院裏の松林で22歳女性と青酸カリを用いて服毒自殺
1950/4/6 昭和25年4月6日 徳田要請問題:国会喚問に呼ばれた元シベリア、カラガンダ収容所通訳、管季治が武蔵野市吉祥寺2774付近にて国鉄中央線上り東京行き電車に飛び込み自殺
1950/4/15 昭和25年4月15日 評論家、木村荘太が千葉県成田市成田山公園内にて首つり自殺
1950/6/22 昭和25年6月22日 世界救世教顧問弁護士、長谷川俊夫が静岡県庁にて飛び降り自殺
1950/7/1 昭和25年7月1日 和歌山県立粉河高校3年、小堀勝成ら4人が和歌山県勝浦町の崖から飛び降り自殺。
1950/7/3 昭和25年7月3日 金閣寺放火事件:犯人の学僧、林承賢の母、志満子が事件翌日、京都府警西陣警察署の任意事情徴収の帰り、山陰本線京都発城崎行列車乗車中、馬堀駅手前、鵜ノ川鉄橋にて列車デッキから保津川の支流、鵜ノ川へ飛び降り自殺
1950/7/5 昭和25年7月5日 板橋区立志村第四小学校長、里見親和の遺体が群馬県嬬恋村の浅間山麓にて発見される
1950/9/1 昭和25年9月1日 ローマ法研究者、東京大学教授 原田慶吉が杉並区高円寺1の自宅勝手口にて首つり自殺
1951/1/29 昭和26年1月29日 都立日比谷高校2年、蛭田昭が国鉄高田馬場駅にて飛び込み自殺。17年後、遺稿集『青春が滅びてゆく 自殺との対話』が出版された。
1951/1/29 昭和26年1月29日 長男がハンセン病と診断された山梨県農協理事、与水繁の一家9人が北杜市須玉町小倉中小倉の自宅にて青酸カリを砂糖に混ぜ集団服毒自殺
1951/3/11 昭和26年3月11日 築地八宝亭一家殺人事件:中華料理店八宝亭従業員山口常夫が築地署留置場にて青酸カリを用いて服毒自殺
1951/3/13 昭和26年3月13日 作家、原民喜が西荻窪駅西方約250mにて鉄道自殺 代表作『夏の花』
1951/3/16 昭和26年3月16日 元サンデー毎日編集長、作家、渡辺均が自殺
1951/5/8 昭和26年5月8日 元硫黄島守備隊で戦後3年半、島に潜伏してた海軍二等兵山蔭光福が取材で訪れた硫黄島擂鉢山にて飛び降り自殺
1951/6/5 昭和26年6月5日 蔵敷事件:東京都大和村の主婦、近藤ときが、立正佼成会幹部から長男輝男が死ぬと予言されノイローゼになり大和村蔵敷1055の自宅にて長男と共に青酸カリを用いて服毒自殺。人権蹂躙事件として国会で問題に。本事件を担当していた弁護士の一人、磯部常治は死刑廃止論者であり、56年に妻子が殺害されても持論を翻さなかった。
1951/7/3 昭和26年7月3日 参議院議員、岡田信次の長男、岡田信が上高地にて自殺予告。岡田信次から上高地の警察署に電話で捜索願い。
1951/11/27 昭和26年11月27日 作家、林房雄の妻、林繁子が鎌倉市浄明寺の自宅にて自殺(未遂)。翌1952年6月8日に再度首吊り自殺(完遂)
1951/12/1 昭和26年12月1日 電通省建設部管理課会計係事務官、森正雄が刃物で喉を切り、玉川上水へ投身、杉並区和泉町498のゴミ揚げ場付近にて発見される。
1952/1/23 昭和27年1月23日 札幌南高校3年、画家、加清純子が北海道阿寒にて凍死自殺 渡辺淳一の小説『阿寒に果つ』のモデル
1952/2/10 昭和27年2月10日 参議院議院、労働党、鈴木清一夫人、るり子が横浜市鶴見区鶴見町1198の自宅にて猫イラズを飲み首つり自殺(未遂)
1952/2/25 昭和27年2月25日 日本郵船の氷川丸設計者、石川島重工造船技師、飯沼重視が長野県諏訪市上諏訪町角間川鉄橋にて自殺
1952/4/19 昭和27年4月19日 漕艇協会副会長 宮木昌常と妻もと が京都吉野山の村上義光墓前にて青酸カリ用いて服毒自殺。遺体が発見される。
1952/4/21 昭和27年4月21日 東京大田区の萩須朝子が京都駅前、宮本旅館にて服毒自殺 文学好きな仲間達と決心のついた人から自殺しようと約束する自殺クラブをつくっていた。
1952/6/8 昭和27年6月8日 作家、林房雄の妻、林繁子が鎌倉市浄明寺514の自宅にて首つり自殺
1952/7/2 昭和27年7月2日 横浜商会専務、川喜多新一が横浜駅にて鉄道自殺
1952/7/19 昭和27年7月19日 収賄容疑で取り調べを受けていた元国鉄資材局用度課課長補佐、新日本医科資材会社社長、佐久間幸之助が警視庁5階より飛び降り自殺
1952/8/8 昭和27年8月8日 立教大学助教授、佐藤偉がマレー、ペナン港に停泊中の英客船カーセージ号船室にて首つり自殺
1952/10/24 昭和27年10月24日 地唄筝曲奏者、菊仲米秋が入水自殺
1952/11/17 昭和27年11月17日 歌手、安城美智子とNHKプロデューサーが京都市中京区河原町の京都ホテル5階にて睡眠薬アドルムとカルモチンを用いて服薬心中
1952/12/5 昭和27年12月5日 皇居前メーデー事件被告、日本共産党員、小林秀博が神経衰弱を理由に保釈後、郷里へ帰郷の途中、新宿駅2番ホーム(現・8番ホーム)にて中央線上り電車に飛び込み自殺
1952/12/24 昭和27年12月24日 歌舞伎の小道具の権威といわれた藤浪小道具株式会社社長、藤浪与平が鎌倉市坂の下262の自宅にて首つり自殺
1952/12/26 昭和27年12月26日 北日本製紙取締役、小田昌が渋谷駅にて山手線外回り電車に飛び込み自殺
1952/12/31 昭和27年12月31日 作家、久坂葉子が阪急六甲駅にて鉄道自殺。3年後、『私はこんな女である 久坂葉子遺作集』が出版された。
1953/3/2 昭和28年3月2日 港区芝高輪南町の無職、奥平昌信が皇居二重橋前にてカミソリで首を切り自殺
1953/4/2 昭和28年4月2日 農林省食糧庁食品課長、長沢武が湯河原温泉旅館花長園にて首つり自殺
1953/4/14 昭和28年4月14日 東京大学農学部3年、卓球部主将、村越徳治が西武池袋線練馬駅付近にて鉄道自殺
1953/5/31 昭和28年5月31日 浦和市議会議員、川上長蔵が浦和署留置場内にて安全カミソリをもちいて首を切り自殺
1953/8/11 昭和28年8月11日 元浦和証券取締役、塚越喜平が荒川放水路に入水自殺 足立区北堀之内町の荒川放水路にて遺体発見
1953/12/22 昭和28年12月22日 作家、加藤道夫が世田谷区若林町237の自宅書斎にて首つり自殺
1954/2/3 昭和29年2月3日 熊本県魚田町の中学教師、宮田正義が皇居前広場大手門寄りの松の木にて首つり自殺
1954/2/11 昭和29年2月11日 ターキーこと水の江滝子のマネージャー兼松廉吉が鎌倉稲村ガ崎の防空壕後にて服毒自殺
1954/3/29 昭和29年3月29日 造船疑獄:運輸省海運調整部総務課課長補佐 雛田英夫が国鉄運輸省ビル(現・丸の内オアゾ)5階から中庭へ飛び降り自殺
1954/4/13 昭和29年4月13日 造船疑獄:石川島重工重役 宮島利雄が東京世田谷区玉川奥沢1-509の自宅裏物置にて首つり自殺
1954/4/28 昭和29年4月28日 日邦水産株式会社取締役会長、佐藤庄次郎が福岡市東小姓町の自宅にて首つり自殺
1954/6/1 昭和29年6月1日 近江絹糸争議:近江絹糸津工場整紡係、小野鉄矢が後楽園球場正面3階席屋上から場外へ飛び降り自殺
1954/6/9 昭和29年6月9日 山梨県都留市議会議員、中島尚之の水死体が神奈川県三浦郡三崎町沖合にて発見される
1954/6/23 昭和29年6月23日 俳優小沢栄の妻、小沢美和子が大田区田園調布3-44の自宅風呂場にてガス自殺
1954/7/3 昭和29年7月3日 近江絹糸争議:近江絹糸第二組合東京支部執行委員の中村五郎が熱海にて鉄道自殺
1954/8/18 昭和29年8月18日 水産庁海洋第一部捕鯨監督官、鈴木明が北海道厚岸町の宿舎にて首つり自殺
1954/8/28 昭和29年8月28日 ラストボロフ事件:外務省職員兼内閣調査室員、日暮信則がソ連のスパイ容疑で東京地検にて取調べ中、4階窓から飛び降り自殺
1954/9/1 昭和29年9月1日 新東宝映画製作主任、鹿島誠哉が福井県芦原温泉、佐々木病院3階別室より飛び降り自殺
1954/9/6 昭和29年9月6日 近江絹糸争議:近江絹糸第二組合東京支部副支部長、川又きみ が東京都品川区五反田5-60近江絹糸池田山寮にて睡眠薬をもちいて服薬自殺(未遂)
1954/9/27 昭和29年9月27日 横浜市交通局収賄事件:前横浜市交通局長技師、金子信一郎が藤沢市辻堂の墓地にて首つり自殺
1954/9/28 昭和29年9月28日 横浜市交通局収賄事件:6日前に退職した前横浜市交通局長、秋山繁市が同市中区竹ノ丸96の自宅にて、市警察から任意同行を求められた直後、青酸カリを用いて服毒自殺
1954/11/7 昭和29年11月7日 茨城県精米業一家9人毒殺放火事件:犯人緑志保が栃木県大田原署にて取調べ中に青酸カリを用いて服毒自殺
1954/11/27 昭和29年11月27日 洞爺丸事故で夫をなくした白井みさが事件二ヶ月後、東京都杉並区の富国生命社員寮にてガス自殺
1954/12/18 昭和29年12月18日 甲府地方裁判所判事補、近藤脩が国鉄下十条駅にて京浜東北線下り電車に飛び込み自殺
1955/2/4 昭和30年2月4日 埼玉県川口市議会副議長、唐沢二三次郎が川口市青木町3-393の自宅にて首つり自殺
1955/3/3 昭和30年3月3日 2月27日に投票が行われた第27回衆議院議員選挙において福岡二区から立候補し当選した民主党淵上房太郎議員の党大川支部幹事長、会田勇次が選挙違反容疑で留置されていた大川署留置場にて畳の縁の糸をもちいて首つり自殺
1955/3/13 昭和30年3月13日 東京都内初のテレビ塔、港区赤坂一ツ木町ラジオ東京(現TBS)テレビ塔東側にて高さ約50mから身元不明の男が飛び降り自殺
1955/3/16 昭和30年3月16日 2月27日に投票が行われた第27回衆議院議員選挙において神奈川二区から立候補し当選した民主党野田武夫議員の関係者、蒲谷ハナが神奈川県田浦警察署にて事情聴取の帰り飛び降り自殺
1955/4/8 昭和30年4月8日 青梅市の工員が東京大学本郷キャンパス三四郎池にてダイナマイト自殺
1955/4/19 昭和30年4月19日 国立横須賀病院外科医長、医学博士、塩田時夫が東京都杉並区荻窪1-29の自宅にて妻子3人を殺害後、服毒自殺。遺体が発見される。
1955/5/3 昭和30年5月3日 三重県議選に立候補し落選した井ノ口博章の関係者、別所正夫が三重県津警察署留置場にて首つり自殺 買収容疑で逮捕留置中
1955/5/3 昭和30年5月3日 横浜市立桜ヶ丘高校教師、神田三治が東京都五日市町盆堀付近の山林にて自殺、白骨遺体が発見される。1950年夏に失踪していた。
1955/5/6 昭和30年5月6日 東京都庁住宅内部総務局勤労部福利課長代理、渡辺武綱が渋谷区外輪町1738山手線外回り電車に飛び込み自殺 翌日、都結核療養所生浜荘の不正入札事件で上司が逮捕された
1955/6/22 昭和30年6月22日 日本起重機製作所常務取締役、三谷貞三郎が大田区森ヶ崎5843の自宅にて服毒自殺
1955/6/27 昭和30年6月27日 漫画家、谷内六郎が東京都世田谷区上馬1-598自宅にて左腕をカミソリで切り自殺(未遂)
1955/6/30 昭和30年6月30日 東洋大学文学部中国哲学文学科1年、下平几子が東京都港区赤坂青山北町6−38の自宅にて焼身自殺、7月5日死亡。 都立三田高校在学時、同校教師小寺和夫と関係。教師は他に女生徒8人と関係しており、過去にも女生徒2人が自殺。同校校長、百田治朗は7月17日に自宅にてガス自殺をはかったが未遂におわった
1955/7/5 昭和30年7月5日 東京大学理学部数学講師、理学博士、森明が東京大学理学部1号館3階教官室にて睡眠薬アドルムをもちいて服薬自殺 アドルム300錠を乳鉢で粉末にし5日午後7時に服用と記載された遺書の写真が新聞誌上にて公開された
1955/7/10 昭和30年7月10日 東京都立大工学部講師、関口三郎が大田区南六郷2-32先の多摩川堤にて服毒自殺
1955/7/14 昭和30年7月14日 練馬区議会議員、中村旧一が西武池袋線、練馬区南町の踏切にて飛び込み自殺 衆議院議員、中村梅吉の弟
1955/7/14 昭和30年7月14日 文部省技官、上野文化財研究所所員、大串純夫が東京都北多摩郡大和町狭山公園裏入口にて自殺
1955/7/27 昭和30年7月27日 北海道大学理学部助教授、糠沢健次が北大構内原始林にて首つり自殺
1955/9/1 昭和30年9月1日 林野庁長官柴田榮の長男、名古屋工業大学建築科4年、柴田千秋が岡崎駅西ガード付近にて鉄道自殺
1955/9/23 昭和30年9月23日 赤坂の料亭、中川の若女将、石川千代が千代田区麹町平河町2-6の自宅にて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1955/9/28 昭和30年9月28日 ジャズピアニストの守安祥太郎が目黒駅にて山手線内回り電車に飛び込み自殺 所持品は現金6千円と新宿の歌声酒場どん底のマッチのみ
1955/10/24 昭和30年10月24日 外務省翻訳課嘱託、高橋清三郎が大田区馬込東2-928自宅台所にて焼身自殺
1955/11/21 昭和30年11月21日 外務省アジア局第4課、外務事務官、飯田四郎が東京都港区芝田村町、外務省5階から飛び降り自殺
1955/12/5 昭和30年12月5日 三鷹市の主婦、高田京子と子4人が杉並区立下高中学校(現・向陽中学校)前の橋から玉川上水へ入水自殺。母と1歳の次男のみ助かる。桜上水での5人心中と話題に。
1955/12/20 昭和30年12月20日 5日に発生した桜上水5人心中事件の父、高田一郎こと申鐘達が国鉄北浦和駅から青森行き急行列車に飛び込み自殺。所持品に棺桶の領収書。
1956/1/8 昭和31年1月8日 文芸評論家、服部達が山梨県大泉村川俣渓谷上流の八ヶ岳山麓にて睡眠薬をもちいて服薬自殺。7月24日、下流にて白骨遺体が発見される。
1956/1/15 昭和31年1月15日 洋画家、吉岡憲が国鉄中野駅近く高根踏切(高根歩道橋の西側)にて下り三鷹行き最終電車に飛び込み自殺。
1956/2/2 昭和31年2月2日 元新宿和田組、石川力夫が服役中の府中刑務所屋上から飛び降り自殺。作家藤田五郎原作の映画『仁義の墓場』のモデル。
1956/2/3 昭和31年2月3日 東京大学医学部助教授、東大付属病院小石川分院小児科医長、沢田昌三が文京区雑司ヶ谷町120同病院医長室にて服毒自殺
1956/2/7 昭和31年2月7日 松竹大船撮影所助監督、田中淳剛が浅間山麓峯の茶屋付近にて服毒自殺、5月22日に遺体発見
1956/3/8 昭和31年3月8日 浅草フランス座ストリッパー、キティー福田こと永山美代子が東京都台東区千束町2-41の自宅にて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1956/3/14 昭和31年3月14日 衆議院議員、自民党 原捨思の秘書、四元幸子が東京都品川区北品川1、八ツ山橋から国電線路わきに飛び降り自殺(未遂)
1956/6/9 昭和31年6月9日 農林省大臣官房経理厚生課補助係、吉川六郎が東京北区の荒川放水路にて入水自殺
1956/6/25 昭和31年6月25日 作曲家、琴演奏家、宮城道雄が東海道線愛知県刈谷市付近にて列車から転落し死亡(自殺?)
1956/7/2 昭和31年7月2日 私立松蔭高校教師、岡本吉之助が東京都世田谷区北沢4-456同校講堂控室にて首つり自殺 同校ではアルバイト学生の収入の1割を徴収しており、この日、都の調査がはいり学校追求の生徒会が開かれていた。
1956/7/4 昭和31年7月4日 映画美術プロデューサー、吉崎豊次が世田谷区野沢町2-231にて服毒自殺
1956/7/25 昭和31年7月25日 米軍立川基地勤務、小池美一と妻光子、長女和枝が立川市羽衣町笠井病院裏の国鉄中央線にて下り電車に飛び込み自殺
1956/8/8 昭和31年8月8日 長崎原爆青年乙女の会会員、鈴田まさえが長崎市大黒町菅崎旅館にて農薬を用いて服毒自殺 被爆者同士の結婚を親に反対されたことを苦に
1956/9/21 昭和31年9月21日 警視庁予備隊巡査、井戸浩が鎌倉市の旅館、小田屋にて服毒自殺。井戸巡査は8日前に米軍立川基地拡張測量調査の警備にあたっていた。翌年、基地拡張問題から砂川事件が発生した。
1956/10/28 昭和31年10月28日 日本原子力研究所署員、岡部美夫が東武東上線高坂駅東400mにて上り電車に飛び込み自殺
1956/11/14 昭和31年11月14日 画家丸木位里の母、スマを撲殺した画家 香川睦久が横須賀市長者ヶ崎海岸にて飛び降り自殺
1956/11/18 昭和31年11月18日 7年前に行方不明になった前長崎市長、岡田寿吉の白骨遺体が長崎市八郎岳にて発見される。自殺。
1956/12/14 昭和31年12月14日 歌手、楠木繁夫が東京都新宿区西大久保3-95の自宅物置小屋にて首つり自殺 代表曲『緑の地平線』『女の階級』
1956/12/20 昭和31年12月20日 放送作家、寺島信夫が川崎市新丸子東2の自宅にて睡眠薬をもちいて服薬自殺。翌21日死亡
1957/4/10 昭和32年4月10日 全購連汚職事件:全購連肥糧部燐酸加里課調査役山川一三が千代田区有楽町1-11産協会館2階小会議室にて農薬を用いて服毒自殺
1957/4/16 昭和32年4月16日 都立駒場高校教師、久保田勝太郎が修学旅行引率中、京都丸太町橋より鴨川河原へ飛び降り自殺
1957/4/29 昭和32年4月29日 皇居馬場先門の交番裏松林にて身元不明男が服薬自殺
1957/5/1 昭和32年5月1日 群馬大学医学部精神科主任教授、稲見好寿が前橋市の自宅にて首つり自殺
1957/5/4 昭和32年5月4日 日本相撲協会理事長出羽海秀光(元横綱常ノ花)が国技館大日本相撲協会取締応接室にて短刀を用いて切腹(未遂)
1957/5/24 昭和32年5月24日 仏文学者、中村真一郎の妻で元文学座俳優、新田瑛子が世田谷区世田谷2-1080の自宅にて睡眠薬をもちいて服薬自殺。26日死亡
1957/6/27 昭和32年6月27日 江商肥糧部長、長尾正が東京都品川区大井海鹿島3015先にて京浜東北線電車に飛び込み自殺
1957/6/30 昭和32年6月30日 東京大学文学部西洋史学科講師、藤原浩の白骨遺体が沼津市西浦江梨の寺山山中にて発見される。3月27日に失踪後、同地にて服毒自殺。
1957/7/6 昭和32年7月6日 谷中五重塔心中放火事件:1957年7月6日、目白の洋裁店店主、長部達夫(既婚)が店員の21歳女性と谷中五重塔にて睡眠薬を服用後、一升瓶に入ったガソリンをまき放火し心中 谷中五重塔は全焼し倒壊。現在は礎石を遺すのみ。
1957/7/24 昭和32年7月24日 明治薬科大学講師、井手五祐が埼玉県所沢市上安松上長淵の雑木林内にて青酸カリを用いて服毒自殺。遺体が発見される。自民党衆議院議員、井出一太郎の弟。7月15日に失踪していた。
1957/9/7 昭和32年9月7日 日本共産党職員、片倉仁が党批判の遺書を遺し国鉄浜松町駅にて東海道線下り電車に飛び込み自殺
1957/9/28 昭和32年9月28日 科学技術庁企画調整局企画課企画第4課長、広幡哲夫が東京都品川区南品川6-1438新東京ホテルにて青酸カリを用いて服毒自殺
1957/10/19 昭和32年10月19日 新日本汽船会社取締役、勝野正恭が東京駅前国鉄本社(現・丸の内オアゾ)ロビー吹き抜けの螺旋階段8階から飛び降り自殺
1957/10/19 昭和32年10月19日 元東京学生柔道連盟委員長、水谷硝が千葉市の千葉二高構内にて睡眠薬をもちいて服薬自殺。腐乱死体が発見される。
1957/10/23 昭和32年10月23日 日本鉱業保安部長、矢野達雄が中央線浅川信号所(高尾駅)付近にて走行中の列車から線路へ飛び降り自殺
1957/11/3 昭和32年11月3日 バイオリニスト渡辺季彦の長男、渡辺茂夫(16)がニューヨークにて睡眠薬を用いて服薬自殺(未遂) バイオリニストとして7歳でデビュー、ニューヨークジュリアード音楽院に無試験で入学、留学中だった。意識が戻らぬまま1999年に死亡。
1957/11/5 昭和32年11月5日 喜劇俳優、清水金一一座の大井哲夫が東京都中野区大和町274の自宅にて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1957/12/4 昭和32年12月4日 天城山心中事件:満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の姪、学習院大学文学部国文科2年愛新覚羅慧生と級友、大久保武道が天城山八丁池南の森林にて拳銃心中
1958/1/14 昭和33年1月14日 俳優、青山恭二が麻布六本木にて車の中で睡眠薬をもちいて服薬自殺(未遂)
1958/3/15 昭和33年3月15日 劇作家、久保栄が順天堂大学病院神経科18号病室にて首つり自殺 代表作『火山灰地』『のぼり窯』
1958/4/9 昭和33年4月9日 熊本大学法文学部哲学科助教授、カント研究家、水原徳恒が生と死の価値についての数学的人生観を研究したが、死は生より優位であるという点に到達したと、高崎市柳川町、実兄の写真家、水原徳尚宅で睡眠薬をもちいて服薬自殺
1958/4/15 昭和33年4月15日 銀座文壇バーのチーママ、坂本睦子が新大久保の自宅アパートにて睡眠薬をもちいて服薬自殺 大岡昇平の小説『武蔵野夫人』のモデル
1958/6/17 昭和33年6月17日 日本航空運航部調査役鶴峰元が品川区東中延の旅館おつるにて睡眠薬をもちいて服薬自殺。6月19日死亡
1958/7/5 昭和33年7月5日 日教組勤務評定闘争において四日市市教育長、染川清一郎が同市役所学校教育課内にて首つり自殺
1958/9/13 昭和33年9月13日 原爆映画『千羽鶴』主人公彦一のモデル、地後尚彦が広島市柳町の自宅にて首つり自殺
1958/9/18 昭和33年9月18日 元宮内庁式部職楽長、多重雄が比叡山延暦寺西塔にて首つり自殺
1958/10/10 昭和33年10月10日 日東石油常務、佐藤泰正が渋谷区代々木初台607の自宅土蔵にて首つり自殺
1958/11/7 昭和33年11月7日 建設中の東京タワー展望台より中野区沼袋の会社員、高橋博が飛び降り自殺 東京タワー初の自殺者
1958/11/17 昭和33年11月17日 数学者、東京大学教養部数学教室助教授、谷山豊が東京都豊島区池袋1-539静山荘アパート2階20号室にてガス自殺。うつ病。1955年に谷山予想の原型を発表。死後、友人の数学者志村五郎が谷山–志村予想(モジュール定理)にまとめた。フェルマーの最終定理証明の嚆矢
1959/1/2 昭和34年1月2日 菓子卸売商、恵本確が全日空大分発伊丹行きの飛行機にてダイナマイト自殺に失敗後、昇降口をこじ開け飛び降り自殺
1959/4/2 昭和34年4月2日 作曲家、後藤資公が2ヶ月前愛人黒木曜子と娘が轢死した町田市の小田急線多摩川学園駅東の踏切にて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1959/4/21 昭和34年4月21日 熊本県立玉名農業高校教師、宇野木政弘が修学旅行引率中、大船駅付近にて鉄道自殺
1959/4/28 昭和34年4月28日 東京都調布市議会議員、共産党、阿部徳寧が入院先の世田谷区祖師谷1至誠会病院にてカミソリで首を切り自殺
1959/6/22 昭和34年6月22日 作家、村雨退二郎が服毒自殺
1959/9/19 昭和34年9月19日 都交通局汚職:東京都交通局工務部管理課長、牧野小一郎が東京都葛飾区、国鉄金町駅にて鉄道自殺
1959/9/28 昭和34年9月28日 東京都荒川区教育委員会事務局係長、石田栄が国鉄田端駅ホームにて鉄道自殺
1959/10/9 昭和34年10月9日 都立久留米養護学校長、塚田貞雄が同校宿直室にて服毒自殺
1959/10/13 昭和34年10月13日 埼玉県比企郡川島村立三保谷小学校長、日教組川島支部長、沢田鞠徳が同村平沼の自宅物置にて首つり自殺
1959/10/15 昭和34年10月15日 日立製作所常務取締役、東京営業所長、石塚晴美が東京都世田谷区上北沢4-369の自宅にて自殺
1959/10/21 昭和34年10月21日 昭和電工会長、佐竹次郎が東京都目黒区駒場町861の自宅にて首つり自殺
1959/10/21 昭和34年10月21日 秋田県庁汚職事件:秋田県企画室参事、斉藤桂二郎が秋田市川尻東表町の自宅にて服毒自殺
1959/10/30 昭和34年10月30日 インドネシア、スカルノ大統領に見初められた赤坂のナイトクラブ「花馬車」のナンバー1金勢さき子がジャカルタ市内にて睡眠薬を飲み両手首を自傷し風呂場の中で自殺
1959/10/31 昭和34年10月31日 会社員、田中謙璋が日東航空所有の水上機デ・ハビランド・アッタ号にて大阪府堺から和歌山県白浜へ向かう途中、非常ドアをこじあけ飛び降り自殺
1959/11/9 昭和34年11月9日 アナウンサー、竹脇昌作が東京都渋谷区千駄ヶ谷3-18の自宅物置にて首つり自殺 ラジオの人気番組「東京ダイヤル」のナレーターをつとめていた。俳優、竹脇無我の父。
1959/11/22 昭和34年11月22日 東京都中央区立京橋昭和小学校長、山口勲郎が東急東横線、学芸大学-都立大学駅間の無人踏切にて鉄道自殺
1960/1/24 昭和35年1月24日 作家、火野葦平が福岡県若松市の自宅にて睡眠薬アドルムを用いて服薬自殺 代表作『麦と兵隊』
1960/2/7 昭和35年2月7日 国鉄加古川線中村町駅長、南畝悦が兵庫県明石市右手塚町の山陽電鉄右手塚無人踏切にて鉄道自殺
1960/3/30 昭和35年3月30日 浮世絵師、名取春仙が北青山の高徳寺にて服毒自殺
1960/4/18 昭和35年4月18日 日本オリオンレコード所属歌手、真船洋子が品川区豊町6-194桜井アパート2階自室にてガス自殺
1960/5/25 昭和35年5月25日 汚職事件で保釈中の前東京都建設局住宅建設部工事第二課長、佐藤七五郎が東京都豊島区池袋5-199の自宅にて肉切り包丁で首を切り自殺
1960/6/13 昭和35年6月13日 建設省河川局全水政課長、森文一と実弟の未亡人、森吉江の白骨遺体が福島県土湯峠付近にて発見される。1959年9月頃自殺した模様。実弟の東京大学理学部数学講師、理学博士森明は1955年7月5日に自殺。
1960/6/20 昭和35年6月20日 通産省工業技術院標準部電気規格課員、原子力研究所外来研究員、児玉正男が茨城県東海村村松の同研真砂山独身寮にてタイムスイッチと睡眠薬を用いて感電自殺
1960/8/28 昭和35年8月28日 音羽会社重役夫人強盗殺人事件:主犯、湯本昭八郎が東京拘置所内にて首つり自殺 なお、共犯の泉水博は無期懲役で千葉刑務所服役中に獄中者組合を結成、後にダッカ事件で超法規処置にて釈放されたが1986年フィリピンにて逮捕された。
1960/9/3 昭和35年9月3日 三井三池争議:三池炭鉱第一組合員、渡辺富吉が福岡県大牟田市櫟野三池炭鉱東谷社宅の自室にて包丁で喉を突き自殺
1960/10/15 昭和35年10月15日 漫才師、浮世亭夢若が和歌山県白浜町の旅館にて酒と睡眠薬にて自殺
1960/11/2 昭和35年11月2日 浅沼委員長暗殺事件:元日本愛国党党員、大東文化大学聴講生、山口二矢が東京都練馬区仲町、東京少年鑑別所東寮単独室1号にて首つり自殺
1960/11/25 昭和35年11月25日 前衆議院議員、民社党、神田大作の長女で秘書、神田庸子が茨城県笠間市片庭、仏頂山麓雑木林にて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1960/12/5 昭和35年12月5日 学生歌人、國學院大学文学部3年岸上大作が杉並区久我山にて睡眠薬ブロバリン150錠服用後首つり自殺。後に歌集『意思表示』が出版された。
1960/12/7 昭和35年12月7日 元衆議院議員、土建業、加藤静雄が静岡県焼津市焼津787-2自宅物置にて首つり自殺
1960/12/12 昭和35年12月12日 ソ連に拿捕された北海道根室のタコ漁船はじめ丸船長、佐藤実が色丹島アナマ収容所にて自殺
1961/2/24 昭和36年2月24日 慶応大学仏文科講師、沢井定雄が東京都台東区浅草柳橋2-11の自宅4階にてガス自殺
1961/3/12 昭和36年3月12日 通産省福岡鉱山保安監督部管理課長補佐、谷利光が福岡市大橋本町470の自宅にて猟銃自殺 3月9日に火災事故で死者71名を出した福岡県田川郡香春(かわら)町の上田鉱業上清炭鉱の保安監査を担当していた。
1961/5/11 昭和36年5月11日 宮崎県都城市議会議員、都城商工会議所副会頭、入佐畩吉と妻マサ子が同市西町の藪中にて服毒自殺。強要罪で起訴されたが病気のため仮釈放中だった。
1961/6/7 昭和36年6月7日 朝日不動産常務、枝川明雄が東京都千代田区有楽町1-2朝日生命館8階屋上南より日比谷交差点へ飛び降り自殺
1961/7/23 昭和36年7月23日 前熊本県人吉市衛生課長、西重義が同市七地町の自宅マキ小屋にて首つり自殺 全国的な小児麻痺流行の中、対策でノイローゼとなり自宅療養していた。
1961/10/15 昭和36年10月15日 長野県本城村(現・筑北村)村長、松林忠氏と妻吟子が服毒自殺、吟子が死亡。
1961/10/28 昭和36年10月28日 俳優、梅若正二が上目黒の自宅にて睡眠薬を用いて服薬自殺(未遂) 代表作、映画『赤胴鈴之助』シリーズ主役
1961/11/25 昭和36年11月25日 川崎市立苅宿小学校教頭、梅田剛が同市井田山中にて首つり自殺。遺体が発見される。死後約半月。
1961/11/27 昭和36年11月27日 岩井産業東京支社金属二部部長、長笠徳二が東京都世田谷区野沢町2-228自宅にて首つり自殺
1962/1/20 昭和37年1月20日 女優、小宮光江が東京都新宿区下落合1-501の自宅にてガス自殺
1962/1/26 昭和37年1月26日 俳優、高橋貞二の未亡人みどりが豊島区池袋東1-81新富士荘2階にてガス自殺
1962/1/28 昭和37年1月28日 歌舞伎役者4代目中村時蔵が自殺
1962/2/6 昭和37年2月6日 デヴィ夫人の弟、根本八曾男がガス自殺
1962/2/21 昭和37年2月21日 作家、小泉八雲の三男、画家、小泉清が中野区鷺宮3-1197の自宅にてガス自殺
1962/4/13 昭和37年4月13日 作家、小山清の妻、房子が練馬区立野町2099の雑木林にて睡眠薬をもちいて服薬自殺。遺体が発見される。
1962/6/27 昭和37年6月27日 元西鉄ライオンズ捕手、野球解説者、永利勇吉が国鉄鹿児島本線博多-竹下駅間にて鉄道自殺
1962/7/3 昭和37年7月3日 誠文堂新光社会長、小川菊松が東京都心中市谷薬王寺町71の自宅にて散弾銃自殺
1962/10/17 昭和37年10月17日 読売新聞記者、立松和博が睡眠薬をもちいて服薬自殺
1962/12/14 昭和37年12月14日 旭川道路汚職:北海道旭川市土木部土木課中央土木事務所主任、福岡佐吉が同市宮下通り17の国鉄宗谷本線踏切にて鉄道自殺
1963/2/20 昭和38年2月20日 元毎日新聞社運動部長、力道山のボクシングジム「リキジム」会長、伊集院浩が東中野の自宅の都営アパートで切腹。
1963/4/18 昭和38年4月18日 農林省経済局肥料課価格班長、山口知が東京都府中市是政、多摩川是政橋下の水たまりにて睡眠薬をもちいて服薬自殺。遺体が発見される。
1963/5/2 昭和38年5月2日 元長野県松代町議会議員、野沢市太郎が公選法違反容疑で長野拘置所に拘置中、同所内で首つり自殺
1963/5/6 昭和38年5月6日 狭山事件:殺害された中田善枝さんの家の元作男の奥富玄二が服毒し井戸へ身を投げ自殺
1963/5/11 昭和38年5月11日 狭山事件:近所の農家、田中登が心臓にナイフを突き刺して自殺
1963/8/5 昭和38年8月5日 陸上自衛隊陸将補、前自衛隊体育学校長、佐野常光が東京都港区三田台町1-5防衛庁官舎の自宅にて首つり自殺
1963/10/9 昭和38年10月9日 青山学院大学経済学部教授、フロリダ大学研究員、関口重之が米旅客機内にて自殺
1963/10/23 昭和38年10月23日 早稲田大学文学部2年、大石喜哉が、太宰が死んだ玉川上水でオレも死ぬと玉川上水に入水自殺、久我山水衛所水門付近にて遺体発見される
1963/11/16 昭和38年11月16日 東京教育大学文学部西洋史学科3年、田中宣春が東京都文京区大塚窪町の同大文学部東校舎4階屋上より飛び降り自殺
1963/12/9 昭和38年12月9日 国際農友会のアメリカ留学実習生、伊達碵允が果実栽培実習先のカルフォルニア州サクラメント近郊コルサ農場にてライフル銃自殺
1963/12/27 昭和38年12月27日 准看護婦、福本まり子が奈良県五條市の栄山寺裏山にて自殺。翌々年1月16日に白骨遺体が発見される。背景に部落差別問題。後に遺稿集『悲濤』が出版された。
1964/1/7 昭和39年1月7日 清元流師匠、金井しず が東京都世田谷区上北沢1-429の自宅にてガス自殺
1964/1/30 昭和39年1月30日 岩手県花巻市立前田中学校長、阿部潔見が岩手県日教組の学力テスト反対闘争裁判で検察側証人として出廷後、盛岡市肴町、照亦旅館にて首つり自殺
1964/2/17 昭和39年2月17日 詩人、高岡和子が辻堂海岸にて入水自殺。数日後、遺体が大島沖で発見される。のちに自費出版で遺稿集『雨の音』を出版、1968年、大和出版より詩集『さようなら十七才 〜若き詩人の手記〜』が出版された。
1964/2/26 昭和39年2月26日 開業前新幹線で初の自殺:神奈川県平塚市の金目川鉄橋付近にて試験走行中の新幹線に男が飛び込み自殺
1964/3/14 昭和39年3月14日 毎日新聞社英文毎日編集部嘱託、岩堂太郎が東京都千代田区有楽町1-11毎日新聞本社ビル8階から飛び降り自殺
1964/3/? 昭和39年3月 埼玉県立小川高校2年、島田清子が自殺。1967年、大和出版より詩集『みぞれは舞わない』が出版された。
1964/4/9 昭和39年4月9日 東京交響楽団専務理事、楽団長、橋本鋻三郎が楽団解散の3月27日に失踪、荒川放水路に入水自殺。4月9日、水死体が東京都江戸川区小松川4-70先にて発見される。
1964/6/4 昭和39年6月4日 外務省外交官補、法眼俊作がベルリン自由大学に留学中、西ベルリンの4階建てビルにて飛び降り自殺
1964/6/29 昭和39年6月29日 千葉市誘致工業用地あっせん詐欺容疑で逮捕された千葉市開発課長補佐、桜井辰夫が千葉南署留置場保護室内にて首つり自殺
1964/7/7 昭和39年7月7日 箱根富士見ホテル、駒ヶ岳ホテル社長、阿部宗一が神奈川県厚木市愛甲984-1小田急線踏切にて鉄道自殺
1964/7/14 昭和39年7月14日 狭山事件:殺害された中田善枝さんの姉、登美恵が自宅にて農薬を用いて服毒自殺
1964/7/20 昭和39年7月20日 株式会社寶組品川勝島倉庫守衛長、元海軍大佐、大橋富士郎が川崎市の自宅にて包丁で首を刺して自殺。同年7月14日、寶組103号倉庫付近に野積みされた硝化綿が自然発火し大規模な爆発火災が発生、消防士19名が殉職。
1964/9/17 昭和39年9月17日 山口県宇部市立厚南中学校長、山本章一が同市厚南区東割の自宅にて首つり自殺
1964/9/20 昭和39年9月20日 阪神タイガース投手、村山実の妻、富子が杉並区大宮町1638の姉宅にて首つり自殺
1964/11/9 昭和39年11月9日 新幹線開業後初の自殺者:愛知県桜井町の主婦、水越アヤが東海道新幹線安城市古井町の上り線路にて自殺
1965/2/12 昭和40年2月12日 元池田勇人首相秘書官、大蔵省証券局企業財務課課長補佐、中林恭夫が東京都目黒区上目黒7(現在は公務員駒沢住宅)の官舎給水塔から飛び降り自殺
1965/2/12 昭和40年2月12日 新潟県北魚沼郡堀之内町助役、星野永一が同町徳田の自宅にて出刃包丁で胸を刺して自殺
1965/2/19 昭和40年2月19日 詩人、小池玲子が鉄道自殺。後に詩集『赤い木馬』が出版された。
1965/3/6 昭和40年3月6日 横浜市立大学文理学部2年、中核派の奥浩平が自宅にて睡眠薬ブロバリン300錠をもちいて服薬自殺 後に遺稿集『青春の墓標 ある学生活動家の愛と死』が出版された。
1965/3/20 昭和40年3月20日 原爆詩人、峠三吉の未亡人、原田和子が広島市翠町の義姉宅にて首つり自殺
1965/4/15 昭和40年4月15日 柔道家、ロンドン武道会代表、小泉軍治がロンドンの自宅にてガス自殺
1965/4/28 昭和40年4月28日 童謡歌手、近藤圭子が群馬県草津町の草津有料道路に停めた乗用車内にて腹部を刃物で刺し自殺(未遂) 代表曲『パン売りのロバさん』
1965/5/3 昭和40年5月3日 福島天栄肥料商一家3人殺害事件犯人、死刑囚、菊地倉一が宮城刑務所内独房にて首つり自殺
1965/5/17 昭和40年5月17日 サントリー取締役財務部長、安藤忠雄が兵庫県尼崎市の阪急電鉄神戸本線園田駅下りホームにて鉄道自殺
1965/9/13 昭和40年9月13日 会計検査院租税検査第一課調査官、田島昭男が東京都国立町谷保8901の自宅四畳半にて焼身自殺
1965/11/5 昭和40年11月5日 岡山理科大学助教授、杉林益太郎が大阪市浪速区新川町3大阪予備校3階教務室窓から飛び降り自殺
1965/11/8 昭和40年11月8日 俳優、島田屯が目黒区上目黒の自宅風呂場にてガス自殺
1965/12/5 昭和40年12月5日 新潟県直江津市立桑取小学校・中学校校長、近藤三郎が高田市高土町の自宅物置にて首つり自殺
1966/2/1 昭和41年2月1日 俳優、清村耕次が東京都足立区東綾瀬2北三谷団地35-303自宅寝室にて首つり自殺 代表作テレビドラマ『事件記者』荒さん役
1966/4/21 昭和41年4月21日 無職、植田等が厚生大臣宛の嘆願書を残し東京都台東区日本堤2-11松村アパート2階6号室にてガス自殺 老人福祉が大きな社会問題となる
1966/4/24 昭和41年4月24日 落語家、柳家きん平が国鉄田端駅構内にて京浜東北線下り電車に飛び込み自殺
1966/5/5 昭和41年5月5日 元横綱3代目朝潮太郎夫人、米川路子が東京都渋谷区元代々木51の実家にてガス自殺
1966/5/6 昭和41年5月6日 放送作家、斉藤信一が世田谷区上馬1-836の友人宅にてガス自殺
1966/5/11 昭和41年5月11日 東京都葛飾区立小菅小学校長、伊藤伝吉が国鉄東北線与野-北浦和駅間にて鉄道自殺
1966/6/4 昭和41年6月4日 歌舞伎役者、8代目市川団蔵が四国巡礼の帰途、小豆島発大阪行きの船から入水自殺
1966/6/22 昭和41年6月22日 歌手、丘千恵子が杉並区大宮前6-319遠藤実歌謡スタジオ2階にてガス自殺 代表曲『港のブルース』
1966/6/27 昭和41年6月27日 福岡県立修猷館高校教師、古賀学が福岡市別府団地アパートの自宅にて服毒自殺
1966/6/28 昭和41年6月28日 松山刑務所事件:松山刑務所副看守長教育担当、大森常市が同市室町松山塵芥焼却場煙突より飛び降り自殺
1966/6/29 昭和41年6月29日 前新潟県知事塚田十一郎の秘書、樋口広三が父の経営する新潟県妙高高原町池ノ平、羽越観光ロッジにて首つり自殺 訃報を聞いた母が心臓麻痺で死亡
1966/7/23 昭和41年7月23日 松山刑務所事件:松山刑務所副看守長保安係長、門屋茂が同所仮眠室にて首つり自殺
1966/8/11 昭和41年8月11日 俳優、谷晃が東京都狛江市東野川の自宅にて首つり自殺
1966/8/18 昭和41年8月18日 三井建設社員、1964年関西学生柔道選手権優勝、中野忠光が新宿駅にて鉄道自殺
1966/10/8 昭和41年10月8日 歌手、三橋美智也の妻、北沢喜久子が東京都世田谷区烏山町668の自宅にて子と共にガス自殺(未遂)後に離婚
1966/10/9 昭和41年10月9日 元日本プロレス協会所属プロレスラー、竹村年雄が千葉県市川市須和田1-2-13知人宅前にて知人の長男を刺殺後、胸を刺して自殺
1966/10/24 昭和41年10月24日 狭山事件:逮捕された石田一義の兄、石田登利造が西武線入曽駅近くにて鉄道自殺
1966/11/9 昭和41年11月9日 福岡地方裁判所民事部書記官、吉松武敏が11月5日福岡地検より同地裁汚職事件について参考人出頭要請後失踪、9日熊本県阿蘇郡小国町西里の山中にて首つり自殺。遺体が発見される
1967/1/4 昭和42年1月4日 明治大学政経学部経済学科長、赤倉武が千葉県千葉市幕張町の国鉄総武線にて鉄道自殺
1967/1/17 昭和42年1月17日 元衆議院議員、安平鹿一が愛知県温泉郡久谷村中野の自宅にて自殺
1967/1/20 昭和42年1月20日 早稲田大学文学部東洋哲学科2年、紀藤秋夫が東京都板橋区栄町、東武東上線大山-中板橋駅間にて鉄道自殺 早大紛争時、文学部時事会副委員長で除籍処分を受けたが17日に教授会で除籍撤回が決まっていた。
1967/1/28 昭和42年1月28日 北海道東北開発公庫筆頭理事、勝原啓が東京都千代田区大手町1-5公庫ビル9階屋上西側から飛び降り自殺
1967/2/24 昭和42年2月24日 国民金融公庫庶務部営繕課調査役、松本他家夫が東京都千代田区大手町1-5公庫ビル9階屋上北側から飛び降り自殺
1967/4/2 昭和42年4月2日 作家、灰原健次郎の兄、灰原吉里が自殺 
1967/4/21 昭和42年4月21日 私立明倫学園高校教師、佐藤尚勝が神奈川県藤沢市鵠沼2509の自宅庭にて焼身自殺
1967/5/30 昭和42年5月30日 元・文芸会プロダクション社長、米谷禎夫が魚住純子中傷事件で東京巣鴨、東京拘置所に収監中、同所独房内にて首つり自殺。
1967/6/29 昭和42年6月29日 朝日放送報道部員、土井亨が京都市下京区四条通烏丸西、京都旅行会館にて飛び降り自殺。評論家、中野好夫の次男
1967/6/30 昭和42年6月30日 元・文芸会プロダクション事務員、大場静枝が魚住純子中傷事件で裁判中、静岡県函南町畑毛温泉高橋旅館にて睡眠薬をもちいて服薬自殺(未遂)
1967/9/6 昭和42年9月6日 俳優、丸井太郎が世田谷区桜上水4-16-9桜マンション302号室の自宅にて睡眠薬を大量服用後ガス自殺 代表作テレビドラマ『図々しい奴』主役、戸田切人役
1967/10/7 昭和42年10月7日 防衛庁装備局長、森田三喜男が西武池袋線池袋-椎名町駅間にて鉄道自殺
1967/10/17 昭和42年10月17日 東京芸術大学美術学部工芸科彫金研究室副手、岡良治が東京都渋谷区八幡通り3-19代官山東急アパート屋上より飛び降り自殺
1967/10/20 昭和42年10月20日 日本特殊金属工業襲撃事件犯人、アナキストの栄健が静岡県富士宮市上井手の天神山にて服毒自殺
1967/11/11 昭和42年11月11日 エスペランチスト、由比忠之進が首相官邸近くの路上にて焼身自殺、翌12日死亡
1967/11/25 昭和42年11月25日 東京都千代田区有楽町のデパートそごう(9階建)屋上から青年が飛び降り自殺、通行人1人巻き添えで死亡
1967/12/18 昭和42年12月18日 川崎市信用金庫理事長、工藤雄弘が神奈川県箱根町仙石原金時山より飛び降り自殺、途中木にひっかかり宙づりとなり凍死
1968/1/4 昭和43年1月4日 淡路交通社長、土屋恒治が兵庫県洲本市の海岸より入水自殺
1968/1/8 昭和43年1月8日 マラソン選手、陸上自衛隊3等陸尉、円谷幸吉が東京都練馬区大泉学園町自衛隊体育学校幹部官舎にて右頸動脈を安全カミソリで切り自殺(付記:公式には遺体発見日の9日が命日とされるが自殺したのは8日、遺族は8日を命日としている。)
1968/1/31 昭和43年1月31日 会社員、加藤利治が建設中の霞が関ビル13階から飛び降り自殺
1968/2/5 昭和43年2月5日 日本大学歯学部教授、早川領一が国鉄大井町駅1番ホームにて鉄道自殺
1968/3/3 昭和43年3月3日 三重県度会郡二見町長、野中由太郎が同町役場望楼階段にて首つり自殺
1968/3/5 昭和43年3月5日 防衛庁機密漏洩事件:航空自衛隊空将補、山口二三が東京都小平市立小平第四中学校近くの玉川上水脇、新堀用水に睡眠薬を服用後入水自殺
1968/3/7 昭和43年3月7日 歌手、一条久子が東京都世田谷区代沢1-31-11駒場荘にてガス自殺、代表作『恋のへそまがり 』(日本コロムビア)
1968/3/26 昭和43年3月26日 全日空社員、全国むち打ち症被害者協議会副会長、長谷川正彦が東京都世田谷区三宿2-16-10都住宅公社団地自宅風呂場にて首つり自殺
1968/3/29 昭和43年3月29日 日大闘争:日本大学理工学部会計課徴収主任渡辺はる子が東京都江戸川区江戸川3-28自宅にて首つり自殺
1968/4/1 昭和43年4月1日 東京都青梅市立青梅第四中学校長、塚田七郎が同市干ヶ瀬町43の自宅物置にて首つり自殺
1968/4/2 昭和43年4月2日 尼崎市の理容院店員、白川和男がアメリカ総領事館のある大阪北区サンケイ会館前にてベトナム反戦を訴え焼身自殺
1968/4/8 昭和43年4月8日 防水工、不動信男が建設中の霞が関ビル36階屋上から飛び降り自殺。
1968/4/18 昭和43年4月18日 日通事件:日本通運前社長福島敏行の次男で同社資金課長の福島秀行が東京地方検察庁屋上南側から飛び降り自殺。
1968/4/29 昭和43年4月29日 岡山大学法文学部教授、戸田尚が岡山市門田、操山頂上付近にて首つり自殺
1968/6/28 昭和43年6月28日 女優、若尾文子の父で元活動弁士の尾形金声が豊島区西巣鴨2の自宅にて首つり自殺
1968/7/12 昭和43年7月12日 元虫プロダクションアニメーター、中国人、彭謊礎が国鉄田端駅1番ホームにて鉄道自殺
1968/8/13 昭和43年8月13日 1967年4月都知事選において美濃部亮吉選挙事務所運動員を空気銃で撃ち執行猶予2年の判決を受けた野々山隆司が東京都杉並区西田町1-571荻窪団地16-502自宅風呂場にて自殺、9月7日に妻子も同場所でガス自殺
1968/8/15 昭和43年8月15日 沖縄出身の盲目大学生、早稲田大学第二文学部国文科3年、真喜屋実蔵が目白通りの陸橋千登世橋から明治通りへ飛び降り自殺
1968/9/12 昭和43年9月12日 日赤福岡病院長、九州大学名誉教授、楠五郎雄が佐賀県唐津市東唐津、シーサイドホテルにて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1968/10/4 昭和43年10月4日 日商岩井財務部出納課長、本田親則が大阪市東区北浜4同社北浜館6階東ベランダより飛び降り自殺
1968/10/17 昭和43年10月17日 東京郵便局贈賄事件において、家宅捜索を受けた小林電気社長、小林留重が国鉄中央線東小金井-武蔵境駅間にて鉄道自殺
1968/11/18 昭和43年11月18日 日本開発銀行監事、三井武夫が川崎市王禅寺2128の雑木林にて服毒自殺。白骨遺体が発見される。9月5日に失踪していた。
1968/12/14 昭和43年12月14日 国民金融公庫大森支店長、橋本和年が京王線千歳烏山-仙川駅間にて鉄道自殺
1968/12/15 昭和43年12月15日 三億円事件:現場近くに住む18歳少年が青酸カリを用いて服毒自殺
1969/1/4 昭和44年1月4日 京都国立近代美術館、守衛、今井松太郎が自殺。1968年12月27日、同美術館で行われていたロートレック展にて名画「マルセル」盗まれた夜、当直だった。
1969/2/11 昭和44年2月11日 会社員、江藤小三郎が憲政記念館脇、井伊掃部頭邸跡の碑南にて焼身自殺。元衆議院議員、江藤夏雄の次男であり、江藤新平の曾孫、
1969/3/10 昭和44年3月10日 東京大学医学部大学院生、橋本郁子が同大医学部3号館2階保健学科母子保健科研究室にてガス自殺
1969/3/18 昭和44年3月18日 使い込みで3月1日に懲戒解雇された元東京都駐車場公社予算係長、森島茂樹が大阪市北区、大阪ロイヤルホテルにて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1969/3/28 昭和44年3月28日 山口県宇部市長、星出寿雄が入院先の宇部市小串通り山口大学医学部付属病院第一内科第二病棟6階病室窓から飛び降り自殺
1969/3/30 昭和44年3月30日 厚生省医薬品承認汚職:厚生省公衆衛生局保健所課長、鈴木晃保が駒沢オリンピック公園第一陸橋より駒沢通りへ飛び降り自殺
1969/4/13 昭和44年4月13日 鳥取大学農学部獣医科3年、学生運動家、三船信夫が鳥取市伏野スクモ山頂上にて首つり自殺
1969/4/20 昭和44年4月20日 作家、中里介山の甥、早稲田大学大学院生、中里廸弥が東京都羽村町羽47の自宅にて猟銃自殺
1969/4/20 昭和44年4月20日 大阪市教員異動汚職:大阪市教育長、柏原好光が和歌山市奥和歌浦にて飛び降り自殺
1969/5/9 昭和44年5月9日 防衛施設庁総務部調停係長、田畑敏弘が東京都港区赤坂9-7-45防衛施設庁26号館4階総務部室窓から飛び降り自殺
1969/5/24 昭和44年5月24日 水産庁調査研究所研究第一課研究企画課長補佐、新井卓也が東京都千代田区霞が関1農林省屋上より飛び降り自殺
1969/5/24 昭和44年5月24日 大阪市立大学経済学部3年、松居清一郎が泥沼化した大学紛争に絶望したとの遺書を残し、大阪市城東区今福中の自宅裏倉庫2階にて首つり自殺
1969/5/26 昭和44年5月26日 関西学院大学経済学部2年、堀勝治が北海道虻田郡豊浦の海岸にて入水自殺 後に遺稿集『大いなる戦い』が出版された
1969/5/27 昭和44年5月27日 東北大学工学部電子工学科教授、菊地正が仙台市東二番丁19自宅物置にて首つり自殺
1969/6/11 昭和44年6月11日 名古屋工業大学電子工学科教授、福田滋夫が同校校舎にて飛び降り自殺
1969/6/16 昭和44年6月16日 9日に異常放水事故を起こした奈良県吉野郡大塔村の建設省猿谷ダム管理所長、河野照義が服薬自殺
1969/6/19 昭和44年6月19日 早稲田大学文学部4年、アナキスト、松野猛が横浜市南区最戸町252自宅にて首つり自殺
1969/6/19 昭和44年6月19日 前京都大学教養部助教授、テキサスクリスチャン大学教授、玉野久弘が自宅寝室にてナイフで腹や喉を刺し自殺
1969/6/24 昭和44年6月24日 立命館大学文学部史学科3年、高野悦子が京都市中京区西ノ京平町の国鉄山陰線天神踏切西20mにて鉄道自殺、後に遺稿集『二十歳の原点』が出版され大ブームに。続編『二十歳の原点序章』(1974)、『二十歳の原点ノート』(1976)が出版され累計350万部のベストセラーとなった。
1969/7/8 昭和44年7月8日 東京工業大学理学部教授、新楽和夫が神奈川県逗子市神武寺境内休憩小屋にて首つり自殺
1969/8/14 昭和44年8月14日 通産省大臣官房付、前東京鉱山保安監督部長、鶴田哲也が東京都新宿区戸塚町1-410甘泉園住宅内築山下にて首つり自殺。
1969/9/9 昭和44年9月9日 九州大学文学部教授、前同学部長、鬼頭英一が福島市天神1博多東急ホテル5階514号室浴室にて首つり自殺
1969/9/19 昭和44年9月19日 東京医科歯科大学歯学部付属病院長、石原寿郎が東京都渋谷区代々木2-40-12自宅にて首つり自殺
1969/10/13 昭和44年10月13日 大阪大学工学部電子工学科教授、寺田正純が茨木市並木町の自宅にて菜切り包丁をもちいて腹を切り自殺
1969/11/14 昭和44年11月14日 熊本県水俣市チッソ新労組執行委員、岡本美義が同社水俣支所内肥料倉庫にて首つり自殺
1969/12/4 昭和44年12月4日 元警視総監、元防衛事務次官、門叶宗雄が東京都世田谷区池尻1-24自衛隊中央病院4階個室ベランダより飛び降り自殺
1969/12/4 昭和44年12月4日 東京芸術大学音楽学部ピアノ科助教授、伊藤裕助が国鉄目黒駅にて鉄道自殺
1969/12/10 昭和44年12月10日 杉山吉良のヌード写真集『青春賛歌』モデル、太田八重子が静岡県清水市三保海岸にて入水自殺、遺体発見
1969/12/22 昭和44年12月22日 京都大学農学部教授、同大付属農場長、福田照が高槻市古曽部町3の自宅にて果物ナイフで胸を刺し自殺
1970/2/5 昭和45年2月5日 現代演劇協会演出家、関堂一が東京都新宿区戸塚町3-167住宅公団戸塚3丁目アパート809号室にて首つり自殺
1970/2/17 昭和45年2月17日 毛利金融70億円不正預金問題、毛利金融仙台支店長、大沼則夫が宮城県宮城町作並温泉岩松旅館にて自殺
1970/3/24 昭和45年3月24日 1932年ロスアンゼルス五輪背泳銅メダリスト河津憲太郎が埼玉県狭山市立狭山児童公園にて焼身自殺
1970/3/26 昭和45年3月26日 愛知県七宝町長、近藤栄太郎が水道汚職事件について愛知県警捜査2課の任意出頭に応じ警察車輌で同行中、農薬を用いて服毒自殺。
1970/3/28 昭和45年3月28日 映画製作会社松崎プロダクション制作部長、今泉孝義が同社のある東京都港区南青山5-9共同ビル屋上より飛び降り自殺
1970/3/31 昭和45年3月31日 福岡信用金庫常務理事、久我肇が福岡市長住2の自宅にて妻子と共にガス自殺
1970/4/7 昭和45年4月7日 タクシー会社日進交通会長、鈴木重美が国鉄品川駅第3ホームにて鉄道自殺
1970/4/8 昭和45年4月8日 共産主義者同盟赤軍派梅内恒夫の同級生、福岡県立医大4年、竹谷強志が京成電鉄押上線三ツ木-京成立石駅間にて鉄道自殺
1970/4/14 昭和45年4月14日 北海学園大学経済学部助教授、宮下幸太郎が札幌市平岸5-4の自宅にて焼身自殺
1970/4/16 昭和45年4月16日 慶応大学文学部3年、矢野哲雄が神奈川県川崎市下作延2086自宅裏庭にて焼身自殺
1970/4/18 昭和45年4月18日 身元不明の男が建設中の新宿京王プラザホテル44階から飛び降り自殺。
1970/5/26 昭和45年5月26日 刑務所内で金嬉老に出刃包丁などを差し入れした事件で清水刑務所看守、栗田要が服毒自殺
1970/5/31 昭和45年5月31日 新潟県中里村前村長、山下英雄が同村坂本新田の自宅物置にて首つり自殺
1970/6/4 昭和45年6月4日 丸紅飯田鉄鋼原料第二部副原料課長、西沢利朗が国鉄信濃町駅にて鉄道自殺
1970/6/4 昭和45年6月4日 岩手県宮古農業協同組合長、竹野文男が同市田領の自宅にて農薬を用いて服毒自殺、5日死亡
1970/6/8 昭和45年6月8日 東京医科歯科大学教務係長兼庶務係長、横沢恒信が東京都文京区湯島1同大付属病院歯科病棟2号館にて飛び降り自殺
1970/7/10 昭和45年7月10日 秋田県鹿角郡小坂町鉛山の鉛山鉱業所長、長谷部完三が同所社員寮にて首つり自殺
1970/8/2 昭和45年8月2日 作家、半田義之が町田市の自宅にて自殺。 『鶏騒動』で第九回芥川賞受賞
1970/8/3 昭和45年8月3日 群馬県警大間々署長、福島文雄が同署構内西の物置にて首つり自殺
1970/8/3 昭和45年8月3日 外務省事務官、北山勲が東京都世田谷区桜上水3外務省独身寮310号室にて首つり自殺。遺体が発見される。
1970/8/24 昭和45年8月24日 殺人罪未決囚、小野沢定雄が東京都豊島区東池袋3東京拘置所第二舎二階独房にて首つり自殺
1970/9/8 昭和45年9月8日 神奈川県藤沢市円行の精神病院、藤沢北部病院に入院中の奥田茂が、同病院二階独房28号室にて首つり自殺。同病院では1年間に6人もの患者が自殺していた。
1970/9/9 昭和45年9月9日 歌手,七重八重子が新宿区荒木町の自宅アパートにてガス自殺(未遂) 代表作『夜の未亡人』
1970/9/28 昭和45年9月28日 神戸市立須磨高校2年、全共闘活動家、鎌田淳男が同校正面玄関にて焼身自殺
1970/10/2 昭和45年10月2日 画家、向井泉が東京都東村山市荻山町1荻山第二都営住宅の自宅浴室にて首つり自殺、10月10日遺体発見
1970/10/6 昭和45年10月6日 早稲田大学第2文学部2年山村政明が西早稲田2、穴八幡神社にて焼身自殺 後に遺稿集『いのち燃えつきるとも 山村政明遺稿集』が出版された 在日朝鮮人2世で帰化、遺書に民族差別問題
1970/10/26 昭和45年10月26日 錦城高校2年、堤直人が「無気力な生よりも死を選ぼう、情熱のない生より死を選ぼう」との遺書を残し、新宿京王百貨店4階東側男便所個室にて首つり自殺
1970/11/10 昭和45年11月10日 鹿児島県出水市長、清原寿男が出水市立病院4階屋上北西より飛び降り自殺
1970/11/13 昭和45年11月13日 早稲田高校常務理事、一沢徳志が8月31日に失踪、11月13日、神奈川県相模湖町千木良の雑木林にて白骨遺体が発見される。服毒自殺
1970/11/25 昭和45年11月25日 三島事件:作家、三島由紀夫が東京都新宿区市谷、陸上自衛隊東部方面総監部のある1号館2階総監室にて切腹
1970/11/25 昭和45年11月25日 三島事件:早稲田大学教育学部国語国文学科、盾の会学生長、森田必勝、三島由紀夫と共に切腹
1970/12/3 昭和45年12月3日 CBSソニー企画制作第2部1課長、天森康次が小田急線祖師ヶ谷大蔵-成城学園駅間にて鉄道自殺
1970/12/4 昭和45年12月4日 熊本大学教育学部3年、水俣病支援活動家、田尻まり子が熊本県天草郡松島町天草五橋3号橋から飛び降り自殺
1971/1/18 昭和46年1月18日 兵庫県立三原高校生徒会長、荒井博志が三原町八木寺内の雑木林にて首つり自殺。
1971/3/6 昭和46年3月6日 テレビ映画助監督、乙武英樹が東京都新宿区西大久保1ホテル山王にて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1971/5/16 昭和46年5月16日 東京大学教育学部研究生、伊藤紀子が国鉄戸塚駅上りホームにて鉄道自殺
1971/5/19 昭和46年5月19日 キンシ正宗醸造元、堀野商店社長、堀野貞造が京都市東山区今熊野北日吉町の自宅にてガス自殺
1971/5/24 昭和46年5月24日 元衆議院議員、社会党、大石ヨシエが埼玉県深谷市秋元町89の自宅にてガス自殺?(本人は否定)、6月7日死亡
1971/6/3 昭和46年6月3日 インテリアデザイナー、剣持勇デザイン研究所所長、剣持勇が新宿区下落合1の同所2階所長室にてガス自殺
1971/7/30 昭和46年7月30日 スナック従業員、岡崎里美が東京都府中市の自宅にてガス自殺。1972年、遺稿集『愛なんて知らない―岡崎里美・17才の遺書』(槇出版)が出版された。
1971/9/8 昭和46年9月8日 都立新宿高校3年、矢崎良訓が3ヶ月前に開業した当時日本一の高層ビル京王プラザホテル14階非常階段より飛び降り自殺
1971/10/1 昭和46年10月1日 三里塚闘争:成田空港反対同盟青年行動隊、三ノ宮文男が千葉県山武郡芝山町辺田の自宅裏にて首つり自殺
1971/10/12 昭和46年10月12日 国鉄本社監察局監察役、大城康世が東京都港区赤坂9国鉄桧町アパート1号棟4階自室ベランダから飛び降り自殺
1971/10/27 昭和46年10月27日 写真集『青春賛歌』ヌードモデルで2年前に自殺した太田八重子の兄、太田尚男がシンナー自殺
1971/10/29 昭和46年10月29日 東葛信金不正融資事件:富士商事取締役、古沢東雄が静岡県伊東市岡湯田町の別荘にて首つり自殺
1971/10/31 昭和46年10月31日 共和電機社長、片山外吉が東京都千代田区外神田3の自宅にて拳銃自殺
1971/11/30 昭和46年11月30日 競輪選手、安田悟郎が東京都国分寺市光町3-26の自宅にてガス自殺
1971/12/4 昭和46年12月4日 プロ野球選手スタルヒン投手未亡人、高橋久仁恵が渋谷区本町3本町マンション5階506号室自宅風呂場窓から飛び降り自殺
1971/12/10 昭和46年12月10日 イタイイタイ病患者、井沢サトが富山県婦負郡婦中町の息子宅裏庭納屋にて首つり自殺、自殺前知人に「死んで三井にうらみをはらす。死なないと三井はわたしたちの苦しみをわかってくれない。」と話す。
1971/12/19 昭和46年12月19日 アクメ光学社長、荒井政明が羽田空港に着陸寸前の全日空機をハイジャックしようとして失敗、ナイフで胸を刺して自殺
1971/12/22 昭和46年12月22日 映画監督、黒澤明が世田谷区松原2の自宅風呂場にて自傷(未遂)
1971/12/26 昭和46年12月26日 慶応大学法学部政治学科4年、中嶋信夫が靖国神社境内大村益次郎銅像下にて切腹
1972/1/13 昭和47年1月13日 歌手、椿まみが世田谷区上野毛4の自宅にて首つり自殺 代表曲『月の世界でランデブー』
1972/1/17 昭和47年1月17日 愛知県立旭丘高校教師、同県高校野球連盟理事長、北川敏夫が一宮市新生3の自宅にて首つり自殺
1972/1/22 昭和47年1月22日 倒産した名古屋精糖の残務整理にあたっていた同社資金課長、国見信男が神奈川県小田原市城山3の自宅裏物置にて首つり自殺
1972/2/28 昭和47年2月28日 連合赤軍事件:板東国男の父、坂東基信が滋賀県大津市栗津町ばんど旅館にて首つり自殺
1972/4/7 昭和47年4月7日 歌手、舟木一夫が渋谷区千駄ヶ谷1旅館松実園にて自殺(未遂)
1972/4/16 昭和47年4月16日 作家、川端康成が逗子マリーナマンション407号室でガス自殺
1972/4/21 昭和47年4月21日 造形作家、木村直道が埼玉県浦和市領家5の自宅トイレにて包丁でのどを突き自殺 スクラップ(廃材)とスカルプチュアー(彫刻)を合体させたスクラプチュアーを提唱 代表作、シンバルを叩く男(バックミラー楽団)埼玉県立近代美術館蔵
1972/4/28 昭和47年4月28日 日本銀行釧路支店長、五味秀夫が釧路市弥生町の自宅にて首つり自殺
1972/5/7 昭和47年5月7日 俳優、山田真二の母、山田松子が文京区弥生2の自宅にて首つり自殺
1972/5/14 昭和47年5月14日 作家、有馬頼義が杉並区上荻4の自宅にてガス自殺(未遂)
1972/5/17 昭和47年5月17日 メルボルン五輪体操選手の布一千津子が富山市牛島本町1-4-54の自宅にてガス自殺
1972/5/18 昭和47年5月18日 1973年5月20日、一年前失踪した元大映映画監督、弓削太郎が長野県軽井沢町千ヶ滝東区の山林内にて自殺。遺体が発見される。所持品に5月18日に死ぬとの記述
1972/5/20 昭和47年5月20日 厚生省児童家庭局企画課長、木村政光が東京都新宿区西大久保4厚生省日大久保宿舎1-106にて首つり自殺
1972/5/24 昭和47年5月24日 日本画家、加藤栄三が神奈川県葉山町堀内1280の自宅庭にて首つり自殺
1972/7/2 昭和47年7月2日 山岳映画家、社団法人日本アルパインガイド協会専務理事、奥山章が東京都品川区小山3フラワーマンション404号室自宅にてガス自殺
1972/7/10 昭和47年7月10日 三菱商事神戸綜合油槽所所長、重見多喜蔵が営団地下鉄丸の内線東京駅より線路に入り、大手町駅との間にて鉄道自殺
1972/7/27 昭和47年7月27日 日本棋院顧問、名誉九段、瀬越憲作が東京都杉並区の自宅にて首つり自殺
1972/8/16 昭和47年8月16日 6月23日に失踪した中央大学文学部英文学科教授、藍原乾一の遺体が群馬県嬬恋村鎌原にて発見される。服薬自殺。
1972/8/24 昭和47年8月24日 群馬県藤岡市の中学1年、佐藤牧子と佐倉久美子が同市庚申山聖ヨセフ・カトリック墓地にて首つり自殺。遺書に「19世紀イギリスの神さまになりたい」と記載
1972/9/19 昭和47年9月19日 女優、北村光蓉子が東京都渋谷区桜丘、清桜ハイツ7階自宅にてガス自殺
1972/9/30 昭和47年9月30日 愛知県立旭丘高校3年神田理沙が自殺。後に遺稿集『十七才の遺書』が出版された。
1972/10/2 昭和47年10月2日 防衛庁技官、倉林懋が東横線自由が丘駅にて鉄道自殺
1972/11/9 昭和47年11月9日 元大阪市立大大学院生、井関進が大阪市住吉区我孫子3の下宿にて服薬自殺
1972/12/13 昭和47年12月13日 川崎市立川崎病院事務長、遠藤文郎が川崎市川崎区川通、同病院北病棟6階病室より飛び降り自殺
1972/12/16 昭和47年12月16日 衆議院議員、鴨田宗一の運動員、埼玉県長瀞町議会副議長、福田豊作が同町上下郷の自宅にて農薬を用いて服毒自殺
1973/1/1 昭和48年1月1日 連合赤軍中央委員長 森恒夫が東京都葛飾区小菅、東京拘置所内にて鉄格子に洗面用タオルを巻きつけ首つり自殺。後にに遺稿集『遺稿森恒夫』(査証編集委員会)が出版された。
1973/1/24 昭和48年1月24日 予備校生、橋本寛が皇居前広場にて焼身自殺。近くのベンチに『二十歳の原点』
1973/1/24 昭和48年1月24日 東洋大学文学部教授、佐藤恒信が東京都練馬区貫井3の自宅にて首つり自殺
1973/1/31 昭和48年1月31日 元通産相重工業局長、三菱石油開発顧問、矢島嗣郎が東京駅5番ホームにて鉄道自殺
1973/2/16 昭和48年2月16日 明治大学経済学部3年、宮田茂が東京都東大和市清水、村山貯水池そばにて首つり自殺
1973/2/24 昭和48年2月24日 歌手、森進一の母、森尚子が世田谷区深沢2の自宅にてガス自殺
1973/3/22 昭和48年3月22日 プロ野球選手、読売巨人軍の投手、湯口敏彦が新宿区弁天町の晴和病院にて急死(自殺?)
1973/3/25 昭和48年3月25日 新劇俳優、高松大祐が京王線武蔵野台-飛田給駅間にて鉄道自殺
1973/4/15 昭和48年4月15日 千葉県鋸南町の高校1年生、谷口俊雄が同町鋸山にて飛び降り自殺。霊魂の存在を確かめるためにという趣旨の遺書を朝日新聞へ郵送していた。
1973/5/18 昭和48年5月18日 大阪府堺市議会議員、北野文夫が梅田貨物駅近くのビル屋上より飛び降り自殺
1973/5/21 昭和48年5月21日 俳優、大辻伺郎が東京都港区赤坂葵町ホテルオークラ7765号室にて首つり自殺
1973/5/23 昭和48年5月23日 中日スタヂアム事件:中日スタヂアム社長平岩治郎が三重県志摩郡浜島町タケヤ旅館裏の海岸にて入水自殺
1973/6/1 昭和48年6月1日 前参議院議員、自民党、和田鶴一が和歌山市友田町3−14の知人宅二階四畳半にてガス自殺
1973/6/12 昭和48年6月12日 赤軍派、元大阪商業大学生、平田安豊が三重刑務所第3舎2階78号独房にてシーツを切り紐をつくり首つり自殺
1973/7/24 昭和48年7月24日 科学技術庁資源調査部科学調査官主任、清水良作が神奈川県箱根町元箱根駒ヶ岳山麓にて首つり自殺。遺体が発見される
1973/8/18 昭和48年8月18日 作家、小林美代子が東京都三鷹市井の頭2の自宅にて睡眠薬をもちいて服薬自殺。9月1日に遺体発見、代表作『髪の花』1971年第 14回群像新人文学賞受賞
1973/8/25 昭和48年8月25日 住宅金融公庫人事部付参事役、郷田大助が後楽園場外馬券売り場1号館従業員用シャワー室にて首に麻紐を巻き付けて首つり自殺
1973/9/6 昭和48年9月6日 立教大助教授、大場啓仁が教え子を殺害後、静岡県賀茂郡南伊豆町奥石廊崎展望台下にて一家4人で飛び降り自殺
1973/10/24 昭和48年10月24日 新宿京王プラザホテルにて身元不明の男が19階バルコニーから飛び降り自殺
1973/11/29 昭和48年11月29日 新宿京王プラザホテルにて身元不明の男が29階バルコニーから飛び降り自殺
1973/12/1 昭和48年12月1日 室内装飾会社アルバイト、平田修が仕事先の東京都港区高輪3ホテル・パシフィック東京屋上から飛び降り自殺
1973/12/12 昭和48年12月12日 テレビCMディレクター、日本天然色映画会社、杉山登志が赤坂のマンションにて首つり自殺
1973/12/16 昭和48年12月16日 第一次石油危機:横浜市の銭湯、星野湯経営者、星野甲子男が東京都品川区南大井6都住宅供給公社大森駅前住宅1号棟屋上から飛び降り自殺 石油高騰に悩む
1973/12/24 昭和48年12月24日 栃木県土木部砂防課長、玉木和男が東京都港区南青山6建設省共済会館311号室にて首つり自殺
1974/1/13 昭和49年1月13日 革マル派活動家、松永憲治が福岡刑務所福岡拘置支所21号独居房にて首つり自殺
1974/1/14 昭和49年1月14日 三菱商事本社開発事業部副長、酒井勲が横浜市金沢区泥亀町日本住宅公団金沢文庫アパート屋上より飛び降り自殺
1974/1/22 昭和49年1月22日 山梨大学工学部教授、筑瀬懋が甲府市武田3の自宅にてガス自殺
1974/1/23 昭和49年1月23日 歌手、緑川アコが東京都渋谷区恵比寿西1東急タワーマンション2階の自宅にてガス自殺(未遂)。代表作『夢は夜ひらく』『カスバの女』
1974/2/11 昭和49年2月11日 元国士舘大学生、大橋正文が靖国神社拝殿前にて切腹、翌12日死亡 遺書に三島事件について記述あり
1974/2/15 昭和49年2月15日 池上通信機社長、斎藤公正が江ノ島県営駐車場内にて乗用車を暴走させ岸壁に激突、自殺
1974/3/10 昭和49年3月10日 鹿児島県姶良郡溝辺町立玉利中学校長、伊地知季忠が自宅近くにて首つり自殺
1974/5/15 昭和49年5月15日 早稲田大学第1文学部4年、鈴木晶子がお茶の水駅北東の聖橋から神田川へ入水
1974/6/1 昭和49年6月1日 5月20日に倒産した空気調整機器メーカー日本熱学副社長 牛田次郎が青函連絡船大雪丸より津軽海峡に入水自殺
1974/6/3 昭和49年6月3日 女優、若林美宏が静岡県熱海市咲見町の中田ビル屋上より飛び降り自殺
1974/6/3 昭和49年6月3日 三井物産財務部参事 石王敬次郎が世田谷区野毛1の自宅物置にて首つり自殺、この家では半年前に同物置で一人息子で慶応大学1年の石王純が首つり自殺、3月には妻、美沙子も同物置で首つり自殺していた。
1974/6/19 昭和49年6月19日 元防衛庁技術研究本部開発官、海将、潜水艦設計の権威、緒明亮乍が国鉄東逗子駅にて鉄道自殺 2日前に自身が設計した潜水調査艇うずしお死亡事故が発生、遺書に責任をとって死ぬとの記述
1974/6/24 昭和49年6月24日 群馬県沼田市の家具内装メーカー、オリエント常務、梁瀬要が独断で29億円の手形を発行、事件発覚後自殺、24日遺体発見。会社は28日に会社更生法を申請
1974/6/28 昭和49年6月28日 三菱地所取締役、浜田藤市が静岡県熱海市咲見町、野中山マンション7階12号室にてガス自殺
1974/8/1 昭和49年8月1日 静岡大学教育学部4年、川口和子が新宿住友ビルディングの西側外壁をのぼり35階付近から飛び降り自殺
1974/9/4 昭和49年9月4日 三菱重工ビル爆破事件で現場鑑識を担当していた警視庁神田署刑事防犯課鑑識係巡査長、山田信が同署1階鑑識係暗室内にて首つり自殺
1974/10/21 昭和49年10月21日 神奈川県相模原市ヤシカ相模原工場労働組合委員長、油尾俊信が過労で入院中の東京都港区青山外科病院3階水飲み場にて果物ナイフで腹を刺し自殺(未遂)
1974/10/25 昭和49年10月25日 神奈川県相模原市ヤシカ相模原工場長、野沢久男が同工場1階トイレにて登山ナイフで腹を刺し自殺(未遂)
1974/11/14 昭和49年11月14日 元全農養鶏部長、絵画販売会社同仁社常務、福光太郎が東京霞が関の東京地方検察庁特捜部534号取調室北側窓から飛び降り自殺
1975/1/21 昭和50年1月21日 19日に失踪した電源開発理事、高橋光雄が静岡県磐田郡佐久間町佐久間ダムに入水自殺、21日湖底にて遺体発見
1975/2/1 昭和50年2月1日 東京理科大4年、下元文夫が4ヶ月前に開業した当時日本一の高層ビル、新宿三井ビル屋上東より飛び降り自殺
1975/2/9 昭和50年2月9日 日本航空国際線の機内食食中毒事件を起こした日航子会社インターナショナル・インフライト・ケータリング・カンパニー、アンカレジ支社長、桑原研治がアンカレジの宿舎にて拳銃自殺
1975/2/14 昭和50年2月14日 シナリオライター、浅井昭三郎が京都市右京区西院、阪急西院駅にて鉄道自殺
1975/3/6 昭和50年3月6日 東京都住宅局長、岩松宇佐雄の妻、展子が東京都大田区南馬込4の自宅にて焼身自殺、巻き添えで岩松宇佐雄も焼死
1975/3/18 昭和50年3月18日 岩波書店創業者、岩波茂雄の次女小百合が神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-14国鉄横須賀線今小路踏切にて鉄道自殺
1975/3/20 昭和50年3月20日 女優、篠ひろ子が港区西麻布4の自宅マンションにて睡眠薬を服用し手首を自傷、自殺(未遂)
1975/3/23 昭和50年3月23日 作家、杉田瑞子が秋田市土崎港北3の自宅裏にて焼身自殺
1975/3/24 昭和50年3月24日 常陸太田市北部農協をめぐる贈賄事件で起訴、公判中の前茨城県常陸太田市議会議員、菊池正男が首つり自殺
1975/3/29 昭和50年3月29日 評論家、村上一郎が東京都武蔵野市吉祥寺北町3の自宅にて日本刀で右頸動脈を切り自殺
1975/3/30 昭和50年3月30日 元女優、中村英子が神戸市灘区篠原本町4、義父山口組田岡一雄組長宅にてガス自殺
1975/4/1 昭和50年4月1日 茨城県東茨城郡常澄村役場職員で選挙担当係長、大場和之が同村大場の自宅裏庭にて首つり自殺
1975/4/7 昭和50年4月7日 元建設省住宅局住宅建設課長、全国市街地再開発協会専務理事、滝沢慧が営団地下鉄丸の内線赤坂見附駅にて鉄道自殺
1975/5/2 昭和50年5月2日 映画女優、声優、富永美沙子と会社員、母袋博が北海道苫小牧市高丘の国有林内に停めた乗用車内にて排ガス心中。遺体が発見される。死後2、3日経過
1975/5/6 昭和50年5月6日 ベトナム戦争終結:サイゴン陥落後、会社が事実上業務停止し全員解雇されたベトナム航空大阪支店長、山本芳孝が京阪京津線四宮-京阪山科駅間にて鉄道自殺
1975/5/7 昭和50年5月7日 気象庁天気相談所予報官、坂口啓一が神奈川県高座郡寒川町一の宮の自宅裏物置にて首つり自殺
1975/5/19 昭和50年5月19日 連続企業爆破事件:東アジア反日武装戦線大地の牙リーダー、斉藤和が東京都江東区亀戸8-25-5の自宅マンションにて逮捕直前に自決用青酸カリカプセルを服用、約1時間半後、警視庁地下取調室にて取調べ中昏倒し死亡。
1975/5/25 昭和50年5月25日 連続企業爆破事件:東アジア反日武装戦線の関係者、荒井まり子の姉なほ子が常磐線勝田-佐和駅間にて走行中の十和田2号トイレ窓から線路へ飛び降り自殺。28日、勝田市東石川堂の線路脇畑にて遺体発見。『腹腹時計』のタイピングを担当していた。
1975/6/6 昭和50年6月6日 図書新聞社長、田所太郎が東京都中野区東中野2の自宅にてガス自殺。元"日本読書新聞"編集長、日本読書新聞を1949年退社後、図書新聞を創刊。
1975/6/13 昭和50年6月13日 連続企業爆破事件:農業手伝い。藤沢義美が長野県下水内郡栄村の林道にとめた乗用車にて排ガス自殺。元東アジア反日武装戦線の大道寺将司と法政大学時代同級生で1973年夏まで活動を共にしていた。遺書『とうちゃん、かあちゃん、許して下さい』
1975/6/25 昭和50年6月25日 釜ヶ崎共闘会議幹部、船本洲治が沖縄嘉手納基地第二ゲート前にて焼身自殺、翌26日未明死亡。10年後に遺稿集『黙って野たれ死ぬな 船本洲治遺稿集』が出版された。
1975/7/8 昭和50年7月8日 女優、週刊朝日カバーガール、保倉幸恵が蒲田-大森間の跨線橋から東海道線上り線路に飛び降り自殺、横須賀線上り電車に跳ねられ死亡。
1975/7/17 昭和50年7月17日 作家、高史明の子、小平市立第1中学校1年岡真史が公団萩山団地1号棟にて飛び降り自殺。後に遺稿集『ぼくは12歳』が出版された。
1975/8/15 昭和50年8月15日 東食相談役、好地武雄が東京都中央区日本橋室町、新室町ビル10階より飛び降り自殺
1975/8/30 昭和50年8月30日 特許申請事務手続き会社JIC経営、自動車用エアバックの考案者、小堀保三郎が港区三田4玉鳳寺境内のアパートにて妻とガス心中
1975/9/5 昭和50年9月5日 大田原市で女性セールスマン殺害事件で死刑が確定していた前田孝が東京都葛飾区小菅、東京拘置所内独房にて首つり自殺
1975/9/12 昭和50年9月12日 児童文学作家、松井英子が三鷹市下連雀2の自宅にて首つり自殺
1975/9/17 昭和50年9月17日 奥村組関西支店建築部次長、林文夫が大阪市南区鰻谷西之町、大野旅館にて首つり自殺 13日に発生した大阪駅前陥没事故の現場担当者
1975/9/18 昭和50年9月18日 相場師、曽田経済研究所代表取締役、曽田綱二郎が東京都千代田区一番町4の愛人宅にて首つり自殺
1975/10/3 昭和50年10月3日 プロスキーヤーで元オリンピック選手、福原吉春が新潟県妙高高原町赤倉、福原プロスキー学校2階にてガス自殺
1975/10/3 昭和50年10月3日 福岡拘置支所の死刑囚、1964年12月15日筑後市ボーナス強盗事件で市職員二名を青酸にて殺害した津留静生が死刑執行を予告された翌朝カミソリで左手首を切り自殺。当時、死刑執行は前日に告知されていたがこの事件以降、当日朝告知に変更された。
1975/10/4 昭和50年10月4日 大蔵省関税局輸入課職員、鈴木信保が東京都港区高輪3京急第二ビル屋上から飛び降り自殺
1975/11/26 昭和50年11月26日 東京都立大理学部助手、小野寺斉が小田急秦野駅東約1キロ、県道秦野二宮線高架橋西にて鉄道自殺
1975/12/25 昭和50年12月25日 小田急電鉄監査部次長、永松俊吾が京浜東北線赤羽-東十条駅間にて鉄道自殺
1975/12/26 昭和50年12月26日 元宮城県副知事、東日本放送社長、重村誠夫が仙台市長町字越路の自宅にて首つり自殺
1975/12/29 昭和50年12月29日 東レ監査役、掛下和男が鎌倉市西鎌倉4-7-9の自宅にてガス自殺
1976/1/14 昭和51年1月14日 日本航空副操縦士、寺岡準二がタイ、バンコクのマンハッタンホテルにて拳銃自殺。遺体が発見される
1976/1/20 昭和51年1月20日 早稲田大学法学部研究科、福井英彦が横浜市中区末吉町4東亜ホテル607号室にてタイムスイッチを用いて感電自殺
1976/1/27 昭和51年1月27日 元三井銀行本店企画室次長、針ヶ谷博が神奈川県小田原市堀ノ内、小田急富永第5踏切にて鉄道自殺。報道被害の実例として、上前淳一郎著『支店長はなぜ死んだか』のモデルとなった。
1976/3/5 昭和51年3月5日 羽田発仙台行き全日空817便をハイジャックした岡野正夫が飛行機内トイレにて青酸カリを用いて服毒自殺
1976/3/15 昭和51年3月15日 音楽家、沖不可止が首つり自殺
1976/3/23 昭和51年3月23日 ポルノ男優、前野光保がセスナ機で東京都世田谷区等々力6、児玉誉士夫宅へ特攻し自殺。代表作、映画『東京エマニエル夫人の個人教授』主演
1976/3/23 昭和51年3月23日 作家、中国文学翻訳家、村上知行が千葉県東葛飾郡沼南町高柳1145-30自宅にてナイフで胸と首を刺し自殺。代表作、随筆『北京十年』、羅貫中『三国志』、呉承恩『西遊記』の翻訳。
1976/3/30 昭和51年3月30日 神戸市長田区の主婦、上田明美が新宿京王プラザホテル40階北西側非常階段バルコニーから飛び降り自殺
1976/3/31 昭和51年3月31日 酒田共同火力発電会社社長、浅田秀雄が山形県酒田市千石町1ホテル酒田2階客室浴室内にて首つり自殺
1976/4/14 昭和51年4月14日 食糧庁業務部輸入課長、清水洋一が都営浅草線五反田駅にて鉄道自殺
1976/4/14 昭和51年4月14日 東京都足立区議会議員、石鍋源一郎が同区竹の塚3の自宅物置にて首つり自殺
1976/4/26 昭和51年4月26日 NHK交響楽団第2バイオリン奏者、阿部昭吾が東京都練馬区富士見台3の自宅にて妻、美音子の胸を刺身包丁で刺し殺害後首つり自殺
1976/5/20 昭和51年5月20日 渋谷区立広尾小学校教諭、池田雅子が板橋区高島平団地の自宅にて、生後3ヶ月の長男、基とガス心中。長男死亡、本人は重体。
1976/5/20 昭和51年5月20日 群馬大学教育学部音楽科主任教授、磯谷威が東京都杉並区高井戸東2永谷マンション11階西側廊下から環状8号線へ飛び降り自殺
1976/5/21 昭和51年5月21日 日本銀行国債局副参事補、安部昌平が京王線柴崎駅にて鉄道自殺
1976/5/28 昭和51年5月28日 宮城県石巻市八幡町、斉藤病院見習い看護婦、阿部美津子ら3名が、みやぎ蔵王スキー場にて凍死自殺。
1976/5/30 昭和51年5月30日 栃木県立宇都宮女子高2年渡辺かおりが東武宇都宮線安塚-おもちゃのまち間にて鉄道自殺。後に遺稿集『花の使者-渡辺かおり遺作集』 が両親の手で自費出版された。
1976/6/9 昭和51年6月9日 4日に失踪した警視庁刑事局国際刑事課課長補佐、警視正、森沢学の遺体が隅田川勝鬨橋付近にて発見。入水自殺。
1976/6/14 昭和51年6月14日 国民金融公庫横浜支店業務課長、山下諒二が小田急線玉川学園3号踏切にて鉄道自殺
1976/6/23 昭和51年6月23日 岩手県花巻市教育委員、牛崎長治が同市東宮野目の鉄工所内にて首つり自殺 前夜飲酒委運転で取り調べを受け23日に教育委員会へ辞表提出していた
1976/6/24 昭和51年6月24日 茨城県下館市のスモン病患者、塩崎きん が茨城県下館市下岡崎の自宅にて焼身自殺
1976/7/23 昭和51年7月23日 東京都建設局第二建設事務所工事一課設計係長、中武幸太郎が品川区役所総合庁舎8階の同事務所より飛び降り自殺
1976/8/1 昭和51年8月1日 ロッキード事件で逮捕された前総理、田中角栄私設秘書兼運転手、笠原政則が埼玉県比企郡幾川村大野の林道に停めた乗用車にて排ガス自殺
1976/8/1 昭和51年8月1日 北海道根室市花咲漁港、第5白洋丸船主、白川初雄が色丹島の収容所内にて首つり自殺。6月30日に択捉島沖にてソ連警備艇に拿捕、抑留中。
1976/8/12 昭和51年8月12日 ライオン油脂本社プログラマー石川訓生が墨田区横綱1同社屋上より飛び降り自殺
1976/8/12 昭和51年8月12日 東京都日野市南平2、南平団地の主婦、久家広子が、同自宅の風呂場にて、灯油約5リットルを撒き火をつけたバス浴槽に入り焼身自殺。前月、貧血で倒れた際に抱いていた生後2ヶ月の長男が頭部を強く打ち死亡後、精神的に不安定に。
1976/8/27 昭和51年8月27日 大蔵省総務課課長補佐心得、森源二郎が東京都千代田区霞が関3大蔵省本庁社西側4階階段踊り場付近から飛び降り自殺
1976/8/27 昭和51年8月27日 日本銀行下関支店国庫課長、佐藤忠一が下関市名池町の自宅ふろ場にてガス自殺
1976/8/29 昭和51年8月29日 鹿児島県奄美大島の暴力団小桜一家奄美支部川口派準構成員、生田健一が抗争相手の町議候補宅にて2人を殺傷後、人質をとり逃走、名瀬市港町の名瀬警察署前にて新聞記者に話しをした後猟銃自殺
1976/9/5 昭和51年9月5日 衆議院議員、社会党、金瀬俊雄の妻、金瀬美枝子が千葉市長洲2−13−3自宅にて睡眠薬をもちいて服薬自殺(未遂) 金瀬俊雄は千葉県君津市のダム入札で建設会社を恐喝した容疑で逮捕されていた。
1976/9/15 昭和51年9月15日 元高崎経済大学学長、田中精一と妻きみが江ノ島付近を遊覧飛行中のセスナ機から飛び降り自殺
1976/10/2 昭和51年10月2日 日本赤軍の日高敏彦がヨルダン警察トイレ内にて首つり自殺
1976/10/9 昭和51年10月9日 宇都宮大学農学部林学科教授、北村博嗣が宇都宮市鶴田町の自宅台所にて出刃包丁で首を切り自殺
1976/10/15 昭和51年10月15日 大阪府立三国丘高校3年、伊賀史絵が大阪府高石市の自称「妖精の原」にて自殺。後に遺稿集『妖精の遺書』が出版された。
1976/10/24 昭和51年10月24日 文楽三味線、10代目竹沢弥七が入水自殺、30日に京都市伏見区丹下ダムで遺体発見
1976/11/9 昭和51年11月9日 東京地方裁判所書記官、大原信昭が東京都大田区山王3国鉄京浜東北線蒲田-大森駅間にて鉄道自殺
1976/11/9 昭和51年11月9日 主婦、磯江悦子が実家のある東京都豊島区目白5マンションI4階ベランダにて灯油2Lかぶり火を付けた後に飛び降り自殺
1976/11/9 昭和51年11月9日 静岡県清水市押切、宮前団地の元会社員、松永行雄ら家族4人が同市伊佐布北滝近くに止めた乗用車内にて排ガス自殺。
1976/12/5 昭和51年12月5日 福岡県芦屋町高浜町のバー経営、瀬尾四男が隣家の夫婦と知人4人を路上に並ばせ散弾銃で殺傷後、舌を噛み自殺。血が気道を塞いだことによる窒息死。
1976/12/18 昭和51年12月18日 北海道庁爆破事件で右足切断の重傷をおった道民生課職員、服部祐昌の父、服部金重が札幌市中央区北4西7、札幌厚生病院5階546号室にて首つり自殺
1976/12/18 昭和51年12月18日 横浜国立大学経済学部4年、小野正憲が川崎市川崎区田辺新田1の首都高横羽線へ横断歩道の手すりから侵入、約15m下の産業道路へ飛び降り自殺
1977/1/15 昭和52年1月15日 太平洋海運役員、坂井彰が神奈川県逗子市逗子マリーナ駐車場に停めた乗用車にて排ガス自殺
1977/1/17 昭和52年1月17日 東京大学本郷キャンパスの三四郎池南の藤棚にて法学部4年野々村某が首つり自殺。自殺の数式を示した遺書が話題になる。
1977/2/17 昭和52年2月17日 大阪市藤井寺市の青酸コーラ事件で、青酸コーラを飲んだ被害者、小山信幸が退院翌日、大阪市東住吉区今川町の自宅にてガス自殺。青酸コーラは狂言の可能性大
1977/2/19 昭和52年2月19日 東京都足立区西保木間3アパート第2昭光荘の自動車運転手、田宮清信がプロパンガス自殺。ガスが引火し爆発炎上、同アパートの住人2名が巻き添ええ焼死
1977/2/19 昭和52年2月19日 宮城県石巻市、石巻赤十字病院整形外科部長、木村元吉が同病院リハビリセンター東物干場にてカミソリで首を切り自殺 4日前ヘルニア手術中に患者が死亡、前日に遺族が警察に告発。
1977/2/28 昭和52年2月28日 東京都豊島区議会議員、自民党、河村孝信が同区東池袋2の自宅風呂場にて切腹
1977/2/28 昭和52年2月28日 建設省技官、堂後達美が東急東横線元住吉駅にて鉄道自殺
1977/3/15 昭和52年3月15日 堀江憲一のヨット、マーメイドⅢ号制作者、淡路ヨット製作所社長 伊東洋一が淡路島三熊山中にとめた乗用車にて排ガス自殺
1977/3/15 昭和52年3月15日 三船プロダクション経理総務部長、道祖土清治が東京都武蔵野市境南1の国鉄中央線新道北踏切にて鉄道自殺
1977/3/17 昭和52年3月17日 改造モデルガンで全日空機をハイジャックしようとした岡野正夫が機内トイレにて青酸カリを用いて服毒自殺
1977/3/20 昭和52年3月20日 新潟のシンガーソングライター、富所正一が新潟県三条市国道8号線信濃川三条大橋より入水自殺 車で同橋の欄干にゆっくりとした速度で衝突後、車から降りて川へ飛び込む 5月1日に三条市荻島地内の信濃川左岸にて遺体発見
1977/3/27 昭和52年3月27日 大阪市東成区の鉄工所経営、桜井橲充が大阪国際見本市港会場の印刷機械展示場にてガソリンをまき焼身自殺
1977/3/27 昭和52年3月27日 都立竹台高校警備員、福田正和が同校校庭にてベンジン500ccをかぶり焼身自殺
1977/4/2 昭和52年4月2日 名古屋第1赤十字病院長、田代勝洲が名古屋市中村区元中村1の自宅にて首つり自殺
1977/4/3 昭和52年4月3日 通産省基礎産業局庶務室長、田中和雄が都営地下鉄南北線巣鴨駅にて鉄道自殺
1977/4/3 昭和52年4月3日 山梨県甲府市、大協石油交付油槽所長、秋山政文が油槽所近くの国鉄身延線南甲府駅にて鉄道自殺
1977/4/9 昭和52年4月9日 四国電力立地部次長、青木豊英が香川県大川郡寒川町神前、国鉄高徳線石井街道踏切にて鉄道自殺
1977/4/16 昭和52年4月16日 茨城県取手市井野の25歳7浪、伊東勉が7度めの東大受験に失敗、自宅1階にてガス自殺
1977/4/16 昭和52年4月16日 川崎市立中野島中2年、荒井正仁が物置にて首つり自殺。勉強部屋内の19インチテレビの配置で家族と口論。物置に移動させられたテレビを踏み台にして自殺。
1977/5/11 昭和52年5月11日 農林省構造改善局計画課計画係、石井嘉治が横浜市戸塚区笠間町、農水省戸塚第二寮4階非常階段から飛び降り自殺、国家公務員上級試験農業経済学専攻トップで入省し1ヶ月後。遺書に「グッドバイ、人間失格」と記述。
1977/5/21 昭和52年5月21日 映画、天国と地獄を真似て身代金目的誘拐殺人事件を引き起こした死刑囚、山川真也が小菅の東京拘置所内にて割った窓ガラス片で右首を刺して自殺
1977/5/22 昭和52年5月22日 日産サニー新東京販売社員、埜野良規が東京タワービル5階屋上から飛び降り自殺 東京タワー開業後初の自殺者
1977/5/24 昭和52年5月24日 東亜国内航空鹿児島支店長、橋本久が東京都小金井市、国鉄小金井駅ホームにて鉄道自殺
1977/6/11 昭和52年6月11日 和歌山県、紀北信用組合常務理事、嶋克弘の一家4人が和歌山県海草郡野上町、生石高原駐車場にとめた乗用車内にて排ガス自殺、副業絡みで暴力団に脅されていた。
1977/6/22 昭和52年6月22日 東邦亜鉛秘書室長、堀田輝夫が国鉄山手線、渋谷-原宿駅間にて鉄道自殺
1977/7/11 昭和52年7月11日 東京都板橋区前野町1都営住宅、主婦、石塚道枝が5歳長男、聡と相模湖の勝頼橋付近にて入水自殺。
1977/7/12 昭和52年7月12日 東京都杉並区高円寺2、遠藤れい子が京都駅前の京都タワーホテル8階の部屋にて幼女2人を絞殺後、ベランダから飛び降り自殺。
1977/8/14 昭和52年8月14日 7月3日の参院議員選挙で当選した元国鉄常務理事、伊江朝雄の公職選挙法違反事件において、元国鉄姫路車掌区長、神崎国雄が神戸地検へ出頭直前、国鉄東海道線三ノ宮駅3番線ホームにて鉄道自殺
1977/9/4 昭和52年9月4日 茨城県谷田部町長、横田栄一が同町水堀の自宅風呂場にて包丁で喉を4箇所突き刺し自殺、翌5日死亡
1977/9/7 昭和52年9月7日 1963年7月15日、野村秋介と共に河野一郎邸襲撃焼き討ちした元右翼団体憂国同志会、タクシー運転手、松野卓夫が横浜市西区久保町のスナック兼自宅にて首つり自殺
1977/9/7 昭和52年9月7日 東京大学理科2類1年、貞政総一朗が東京都品川区北品川3マンションT11階自宅ベランダから飛び降り自殺。便箋に「人生は終わるときがある」
1977/9/7 昭和52年9月7日 京都市伏見区中島鳥羽離宮町の城南宮本殿に男が放火、焼身自殺。本殿全焼する。
1977/9/18 昭和52年9月18日 堀江正夫参議院議員の選挙違反事件に際して西脇市議、笹倉達雄が兵庫県滝野町にて鉄道自殺
1977/10/4 昭和52年10月4日 狭山事件:殺害された中田善枝さんの兄、中田喜代治が経営する狭山市入曽のラーメン店内にて首つり自殺、ラーメン店は経営不振で一ヶ月ほど前からノイローゼ気味だったという。
1977/10/25 昭和52年10月25日 旭川大学女子短期大学部学長、北海道教育大学名誉教授、大居平一郎が旭川市緑町17の自宅にて首つり自殺
1977/10/29 昭和52年10月29日 埼玉県蕨市錦町の石田とき(79)が「死なせてくれ」と娘の夫に懇願。バイク二人乗りにて埼玉県戸田市戸田ボート場近くまで運ばれ、荒川にて入水自殺した。現代の楢山節考として朝日新聞が特集記事。後に娘の夫は自殺幇助で逮捕
1977/11/11 昭和52年11月11日 川崎市河川汚職:前夜、部下が収賄容疑で逮捕された川崎市下水道局建設部長、三上吉盛が川崎市役所本庁舎4階トイレにて自傷後、同トイレの窓から飛び降り自殺 川崎市河川汚職で市役所職員が計3人自殺
1977/11/15 昭和52年11月15日 川崎市河川汚職:逮捕された川崎市下水道局建設部高津河川事務所長、渡辺茂の内縁の妻、佐野弥生が山梨県山中湖にて入水自殺。遺体が発見される。
1977/11/19 昭和52年11月19日 福岡県立戸畑高校2年 井亀あおいが福岡県宗像町日の里団地にて飛び降り自殺。後に遺稿集『もと居た場所』が出版された。
1977/11/19 昭和52年11月19日 元安宅産業鉄鋼輸出部第2部長、松本一夫が阪急電鉄神戸線戸口駅上りホームから鉄道自殺 安宅産業は経営破綻し10月1日に伊藤忠商事に吸収合併、松本は希望退職者の一人だった。
1977/11/27 昭和52年11月27日 大蔵省主計局防衛1係主査、秋田典昭が港区赤坂5ー2−27聖パウロ高校跡地にて首つり自殺
1977/12/1 昭和52年12月1日 東京大学病院精神科に入院中の無職、高貫明子が病院から失踪、左手首を自傷し東京大学構内の三四郎池に入水自殺、22日に水死体発見
1977/12/9 昭和52年12月9日 川崎市河川汚職:贈賄容疑で取り調べを受けていた川崎市高津区平の建設会社丸五工務店社長、平尾章が自宅にて首つり自殺。
1977/12/9 昭和52年12月9日 スリ、田代栄男が東京拘置所独居房内にて鉄格子に腰ひもとシーツを用いて首つり自殺。
1977/12/15 昭和52年12月15日 トーメン保健センター次長、前田勇が横浜市東口駅前横浜スカイビル2階トイレにて首つり自殺
1977/12/15 昭和52年12月15日 元プレス工場経営者、伊藤静雄が静岡県伊東市桜木町2旅館S4階客室にて電気タイマーを用いて感電自殺。
1978/1/9 昭和53年1月9日 ソニー芝浦工場管理部長補佐、鈴木巧が東京都板橋区高島平2高島平団地1号棟13階廊下から飛び降り自殺 仕事に行き詰まったとの遺書
1978/1/9 昭和53年1月9日 医大受験2浪中の医師の3女、西山るり子が東京都世田谷区砧1砧スカイハイツ701号室自宅ベランダから飛び降り自殺、同居していた4女も飛び降り重体
1978/2/13 昭和53年2月13日 獨協大学文学部教授、山内昭彦が東京都杉並区西荻北2の自宅にて登山ナイフで左胸を刺し自殺 
1978/2/22 昭和53年2月22日 1億6千万円の不正融資問題で警察から取り調べを受けていた北九州市の門司信用金庫前理事長、三浦実が服毒自殺
1978/3/10 昭和53年3月10日 日本近代文学研究者、専修大学教授、関良一が自殺
1978/3/21 昭和53年3月21日 東海大学2年、田畑健一郎が岐阜県高山市下切町の高圧鉄塔より飛び降り自殺 衆議院議員、社会党、田畑政一郎の長男。
1978/3/31 昭和53年3月31日 関東銀行新宿支店長、岡本勉が東京都足立区日之出町の公団住宅にて果物ナイフで胸を刺し自殺 仕事につかれた、身も心も遠くに行きたい と遺書 1年後、稲川会系暴力団と東亜友愛事業組合への8千万円不正融資に加担、それをネタに更に3千万円を不正融資強要されていたことが発覚。
1978/4/3 昭和53年4月3日 オイルショック後の造船不況により大幅な人員整理のあった佐世保重工造機部機械課、窪田師久が同市弓張岳の崖から飛び降り自殺
1978/4/4 昭和53年4月4日 1億6千万円の不正融資問題で警察から取り調べを受けていた北九州市の門司信用金庫理事長、梅本秀三が同市門司区東本町1の同金庫本店屋上より飛び降り自殺
1978/4/21 昭和53年4月21日 静岡県富士川町長、高岡文夫が同町北松野の自宅納屋にて首つり自殺
1978/5/11 昭和53年5月11日 神奈川県立新羽高校2年、宮原幸子が横浜市港北区下田町マンション6階通路から飛び降り自殺。後に遺稿集『ちいさなクルメルス』が出版された。
1978/5/16 昭和53年5月16日 神奈川県立新羽高校2年、豊田光代が同校南棟校舎5階屋上から飛び降り自殺。4日前に自殺した宮原幸子の友人で後追い自殺
1978/5/20 昭和53年5月20日 元岡山大学医学部教授、日本鋼管福山病院長、児玉俊夫が横浜市保土ヶ谷区岩崎町の自宅にて首つり自殺 うつ病
1978/6/2 昭和53年6月2日 山形県尾花沢市建設課長、田中一義が自宅物置にて首つり自殺 小中学校建設汚職で市長が逮捕され、連日警察の事情聴取を受けていた
1978/7/2 昭和53年7月2日 開成高校生絞殺事件:主婦、佐藤成子が北区志茂4-8-3自宅2階にて首つり自殺。1977年10月30日、家庭内暴力になやんだ夫、佐藤忠良が息子、健一を自宅にて絞殺した現場での自殺。早く子のところへ と遺書。
1978/7/4 昭和53年7月4日 野球部員の暴力事件により夏の高校野球出場を辞退した埼玉県立上尾高校商業科教師、テニス部顧問、中村照男が埼玉県騎西町外川、実家裏の畑にて焼身自殺 同校ではテニス部と野球部の仲が悪く、高野連に告げ口したのはではと嫌疑をかけられ悩んでいたという。
1978/7/4 昭和53年7月4日 東京都豊島区要町3-19海鮮物問屋落合商事経営、落合勇が生まれ故郷近くの栃木県小山市城山町城山公園南側の桜の木で首つり自殺
1978/7/13 昭和53年7月13日 秘密戦隊ゴレンジャーのキレンジャー役俳優、畠山麦が自宅にて首つり自殺。
1978/7/17 昭和53年7月17日 茨城県立下館第一高校1年、秋山透が新宿京王プラザホテル47階東バルコニーから飛び降り自殺 遺書「あなたはきらいといっても、ぼくは好きだ」
1978/7/18 昭和53年7月18日 渋谷区恵比寿南1宮内荘、会社員、倉矢実が神宮球場1塁側スタンド最上段通路より約17.4m下へ飛び降り自殺
1978/9/4 昭和53年9月4日 日本鋼管京浜製鉄所水江製鋼工場長、水野良親が川崎市多摩区宿河原の多摩川に入水自殺、水死体が発見される 労災隠しを追求されノイローゼ気味だったという
1978/9/9 昭和53年9月9日 フリー・ジャズのアルトサックス奏者、阿部薫が睡眠薬ブロバリン98錠をもちいて服薬自殺
1978/9/13 昭和53年9月13日 東京大学助手、輪竹千三郎が川崎市高津区梶ヶ谷、国家公務員共済組合連合会虎の門病院5階渡り廊下から飛び降り自殺、肝硬変とうつ病で入院中
1978/9/27 昭和53年9月27日 5ヶ月前に開業した当時日本一の高層ビル、サンシャイン60、28階西側避難バルコニーから男性が飛び降り自殺。サンシャイン60初の自殺者
1978/10/1 昭和53年10月1日 エーザイ社員、森下勉が東亜国内航空熊本発東京行き機内トイレにてベンジンを撒き焼身自殺(未遂)、機は大阪空港に緊急着陸
1978/10/9 昭和53年10月9日 オイルショック後の造船不況により大幅な人員整理のあった佐世保重工造船部組立係長、宝蔵寺鉄男が佐賀県神埼郡脊振村鹿路の農道に停めた乗用車内にて排ガス自殺 家族に「仕事やめたい、どうしようもない」
1978/10/29 昭和53年10月29日 フランス料理本の翻訳、ライター、岡田雪子が東京都世田谷区宮坂2小田急線豪徳寺1号踏切にて鉄道自殺 「私は弱かった」と遺書
1978/11/18 昭和53年11月18日 栃木県議会議員、自民党、萩原平吉が、経営する会社が経営破綻した翌日、静岡県吉田町大井川中洲にて一族三代9人にて自殺。一家心中と報道されているが、明かな自殺は荻原平吉と長男の弘嗣の2人のみ焼身自殺。他の7人は中洲に停めたマイクロバス内で睡眠薬を飲まされた後に絞殺されていた。殺されたのは妻リツ子、長女で臨月の小林久代と孫の小林有美子。三女令子、四女で獨協医大3年敬子、長男の妻で妊娠2ヶ月の久子と孫の弘美。
1978/11/23 昭和53年11月23日 虫プロダクション職員、多々良正春が東京都練馬区北大泉の自宅にてガス自殺 「・・・願わくば虫プロを明るい職場としてほしい。一人ひとりが本音を出し合って」と遺書。アニメ『ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』、映画『宇宙戦艦ヤマト』の番組タイトルを担当。
1978/12/7 昭和53年12月7日 顧客が貸金庫に預けた1千万円が紛失したと告発され新宿署に取り調べを受けていた東京相互銀行幡ヶ谷支店長、浅沼早苗が新宿駅10番ホームにて鉄道自殺 被害者の供述は曖昧で、貸金庫のスペアキーは封印して保管してあった。
1978/12/7 昭和53年12月7日 日本画家、小川武雄が川崎市幸区塚越2の自宅アトリエにて首つり自殺 「母さんを頼む。体力がまだ残っているうちに先に行く。」と遺書
1978/12/8 昭和53年12月8日 新宿区早稲田鶴巻町の会社員37歳男性が、池袋西武デパート(12階建)屋上から飛び降り自殺。歩道を歩いていた58歳女性に衝突、巻き添えで死亡。
1978/12/10 昭和53年12月10日 筑波大学体育専門学群4年某らが茨城県議会議員選挙において、藤沢順一県議派運動員から学生たちを買収するように持ちかけられ級友にあっせん。事件発覚後、某の父が自宅近くで焼身自殺。筑波大では137人が事件に関与していたが、将来を配慮し全員起訴猶予となった。
1978/12/16 昭和53年12月16日 画家、深井克美が練馬区のマンション8階から飛び降り自殺
1978/12/28 昭和53年12月28日 俳優、田宮二郎が港区元麻布の自宅寝室にて散弾銃自殺
1979/1/14 昭和54年1月14日 1979年1月14日、早稲田大学高等学院1年朝倉泉が世田谷区砧4の自宅にて祖母を殺害後「エリートをねたむ貧相で無教養で下品で無神経で低能な大衆・劣等生どもが憎いから。そしてこういう馬鹿を一人でも減らすため。」との遺書を残し小田急経堂ビル14階から飛び降り自殺
1979/1/31 昭和54年1月31日 社会福祉活動家、元長島愛生園患者理事会長、鈴木重雄が気仙沼のホテル屋上から飛び降り自殺。ハンセン病を克服し社会復帰、気仙沼で社会福祉法人洗心会を組織、精神薄弱者厚生施設高松園を設立した。参考『すばらしき復活―らい全快者奇蹟の社会復帰』田中良一著、すばる書房
1979/2/1 昭和54年2月1日 ダグラス・グラマン事件:日商岩井常務、島田三敬が東京都港区赤坂、日交山王ビル7階から飛び降り自殺
1979/2/15 昭和54年2月15日 京都府宇治市立三室戸小学校3年、上垣雅信が同校本館2階3年2組の教室窓際にて首つり自殺
1979/2/15 昭和54年2月15日 京都芸術大学教授、彫刻家上田弘明が大阪府枚方市楠葉面取町の雑木林にて首を刺して自殺。遺体が発見される。12日妻に「これくらい生きたらよいだろう。もうお前とは会えないかもしれない」と言い残し失踪
1979/2/19 昭和54年2月19日 日興証券本店事業法人部第4部長、猪野素臣が埼玉県春日部市大字備後の自宅にて首つり自殺。15日に倒産したパシフィック通商の第三者割り当て増資株を78億円分販売していた。
1979/2/24 昭和54年2月24日 大田区西糀谷1、雑役夫、山田艶蔵が大田区蒲田4、松美ビル屋上給水タンク内にて自殺(推定)。2月24日に失踪、直後に給水タンク内で自殺したと推測された。4/23に住民から水道水い嫌な匂いがするとの苦情で点検中に遺体が発見された。
1979/3/29 昭和54年3月29日 東北福祉大学助教授、小田忠良が仙台市中田町栗、建設中の市営アパート5階から飛び降り自殺 「意志薄弱だった。すまない」との遺書
1979/4/11 昭和54年4月11日 トロツキー研究家、対馬忠行が神戸発別府行き関西汽船むらさき丸から播磨灘へ入水自殺 8月11日に神戸港沖で遺体発見
1979/4/22 昭和54年4月22日 地の塩の箱の創設者、作家、江口榛一が千葉県船橋市前原西6-1-38公団前原団地38号棟202号の自室書斎にて首つり自殺
1979/4/22 昭和54年4月22日 北海道十勝支庁鹿追町議会議員、小林秀明が同町北5線の自宅近く防風林にてカミソリで首を切り自殺、前日の町議選で初当選していた。
1979/4/23 昭和54年4月23日 山梨県南都留郡勝山村議会議員、倉沢義重が同村一本松の自宅にて農薬スミオチン約200ccを用いて服毒自殺、22日の同村議選で当選したばかりだった
1979/5/20 昭和54年5月20日 743億円の簿外債務が発覚した新潟県長岡市の大光相互銀行常務取締役、前田義雄が長岡市栖吉町の妻の実家にて自殺
1979/5/23 昭和54年5月23日 農林水産省植物防疫課課長補佐、大塚清治が新宿京王プラザホテル43階バルコニーから7階プール脇へ飛び降り自殺 「仕事の責任をまっとう出来なくて申し訳ない」との上司あて遺書
1979/5/23 昭和54年5月23日 元プロ野球選手木下弘が千葉市園生町の自宅マンションにて睡眠薬をもちいて服薬自殺
1979/5/25 昭和54年5月25日 不二歌道会主宰、大東塾塾長影山正治が東京都青梅市今井の大東農場内大東神社にて切腹後散弾銃にて胸を撃ち自殺。遺書に「一死もって元号法制化の実現を熱祷しまつる」
1979/5/31 昭和54年5月31日 丸山教信者、杉田陽子が川崎市多摩区登戸の丸山教境内御宝殿裏にて灯油をかぶり焼身自殺
1979/5/31 昭和54年5月31日 洋画家、野本正雄が埼玉県浦和市原山3博仁会共済病院4階階段から飛び降り自殺
1979/6/9 昭和54年6月9日 山梨県富士吉田市の整形外科医、工藤弘毅が静岡県富士宮市猪之頭モーテルブリッジにて首つり自殺。416万円の保険料水増し請求が発覚し近く保険医取り消し処分。妻にこの薬を飲めば間違いなく死ねると致死量以下の睡眠薬を飲ませ、寝ている間に自殺した。
1979/6/20 昭和54年6月20日 大光相互銀行事件:大光相互銀行筆頭常務、前田義雄が新潟県長岡市栖吉町にて首つり自殺
1979/6/25 昭和54年6月25日 作家、藤本義一の母、光枝が西宮市上甲東園2の自宅にてビニール袋を頭からかぶり窒息自殺 「義一や嫁はよくしてくれた。疲れたので死にたい」と当日の日記に遺書
1979/7/2 昭和54年7月2日 前同和海上火災横浜支店長。田中義雄が横浜市神奈川区鶴屋町2三善ビルにて飛び降り自殺。保険金詐欺事件に関係したとして引責辞任、参考人として連日事情聴取されていた。
1979/7/12 昭和54年7月12日 千葉県八日市場市健康センター医師、渡部藤夫が自宅わきの物置にて首つり自殺。娘の元夫、元プロボクシング日本ミドル級チャンピオン、ベンケイ藤倉こと藤倉勉から恐喝を受けていた。ベンケイ藤倉は引退後、暴力団菅谷組系天心会内桜会幹部となっていた。
1979/7/20 昭和54年7月20日 元カメラ毎日編集長、写真評論家の山岸章二が青山の事務所にて首つり自殺
1979/9/9 昭和54年9月9日 上福岡第三中学校いじめ自殺事件:埼玉県上福岡市立上福岡第三中学校1年、林賢一が同市内12階建てマンションから飛び降り自殺。翌年7月、同市教育委員会と同校は、自殺の原因に民族差別を認め遺族へ謝罪した。
1979/10/14 昭和54年10月14日 名古屋高等裁判所金沢支部判事、富川秀秋が千葉県市川市国府台1国立国府台病院整形外科病室にて包帯で首を絞めて自殺
1979/10/25 昭和54年10月25日 漫才師, Wヤングの中田治雄が静岡県熱海市錦ヶ浦展望台から飛び降り自殺 暴力団一誠会のプロ野球とばくで数千万円の借金があった。
1979/10/27 昭和54年10月27日 元川崎市港湾局長、陣内ヒトシの水死体が同市千鳥町沖合にて発見される。10月22日に失踪。
1979/11/1 昭和54年11月1日 漫才師, Wヤングの中田治雄の母、中田和嘉が奈良県桜井市の巻向駅にて電車にはねられ死亡(自殺?)
1979/11/1 昭和54年11月1日 葛飾区白鳥4、工員、吉田茂樹が港区東麻布1ビル6階から飛び降り自殺。葛飾区無いで相次いだ青酸ソーダ詐取事件に関与。
1979/11/8 昭和54年11月8日 高野山住職会監査、高野山熊谷寺住職、権大僧正、寺本快猛が同寺宿坊3階より飛び降り自殺 熊谷寺は源氏の武将、熊谷直実ゆかりの寺
1979/11/22 昭和54年11月22日 学習院高等学校1年某が東京都港区浜松町2、世界貿易センタービル40階非常階段にて首つり自殺。飛び降り自殺を企図し同ビル屋上へ通じる非常階段へ向かったが施錠されたため首つりしたものと推測される。ノイローゼで神経科に入院経験あり。
1979/11/24 昭和54年11月24日 日本中央競馬会の系列会社、日本発馬機専務、小山一雄が東京都新宿区原町1牛込ハイマンション1103号室にてガス自殺(未遂)、売上10億で5億円脱税し大半が使途不明金、2億6千万円追徴課税された。
1979/12/14 昭和54年12月14日 茨城県筑波郡筑波町泉の無職、稲葉正が両親と実姉宅を包丁で襲撃、4人を刺殺、4人に重傷を負わせた後に自ら腹に包丁を付きたて自殺
1979/12/14 昭和54年12月14日 漫画家、大榎大吉が東京都立川市富士見町6の自宅アパートにて無理心中、妻の顔を漬物石で撲殺、2歳長男を風呂場にて溺殺た後、自傷したが死にきれず未遂、近くの富士見町派出所い出頭。成人向け漫画雑誌にてSM作品を発表。
1979/12/16 昭和54年12月16日 東京都民生局保険部保険指導課医療専門官、松山茂樹が国鉄大森駅下りホームにて鉄道自殺 12月はじめに都が警視庁に告発した江戸川区の歯科医5億円不正請求事件の監査を担当していた。
1979/12/17 昭和54年12月17日 外務省外務事務官、元イスラエル大使館一等書記官、柳沢孝男が肝硬変で入院中の川崎市高津区梶ケ谷1虎の門病院分院2階病室から飛び降り自殺
1979/12/20 昭和54年12月20日 大阪地方検察庁刑事部検事、岸本晃が大阪市北区西天満2大阪弁護士会館6階大会議室ベランダから飛び降り自殺
1979/12/26 昭和54年12月26日 米穀商、玉沢惣平が岩手県田老町川向の自宅物置にて首つり自殺。衆議院議員、玉沢徳一郎の父
1980/1/7 昭和55年1月7日 革労協活動家、元反帝学評書記長、小田切広美が国鉄大井町-大森駅間にて京浜東北線上り最終電車に飛び込み自殺
1980/1/24 昭和55年1月24日 KDD事件:KDD本社経営調査室経営分析担当課長、山口清邦が練馬区豊玉中4、KDD住宅2号棟2階の自室浴室にて首つり自殺
1980/2/2 昭和55年2月2日 旭川地方公安調査局第二課長、長船山春が旭川市春光町2区1条の公務員住宅自宅風呂場にてビニールロープを用いいて首つり自殺。根室にてレポ船を調査活動中
1980/2/6 昭和55年2月6日 KDD事件:KDD前社長付参与、保田重貞が小田急線向ヶ丘遊園駅3番ホームにて鉄道自殺 「板野社長、佐藤室長の犠牲になって死んで行きます。みなさまお世話になりました」と遺書
1980/3/6 昭和55年3月6日 政府特殊法人年金福祉事業団経理部資金第一係長、永井正孝が国鉄品川駅4番ホームにて鉄道自殺
1980/3/15 昭和55年3月15日 早稲田大学不正入試事件:早稲田大学商学部教授、本田守が杉並区今川2歓泉寺境内にて首つり自殺 不正入試事件との関連は不明
1980/3/18 昭和55年3月18日 博多海運の貨物船「第5七福丸」船長、林雅己が北朝鮮黄海南道海州市内にてドアの上部に電気コードの両端を挟みU字形に垂らして首つり自殺。海州市沖にてスパイ容疑で取調べ中。
1980/3/21 昭和55年3月21日 早稲田大学不正入試事件:早稲田大学総長室調査役、早稲田高校事務長、後藤朝一が千葉県船橋市市場4、市立船橋高校南の総武線上り線路にて鉄道自殺
1980/3/30 昭和55年3月30日 東一証券公社債部次長、柏木弘康が東京都中央区日本橋兜町の同社4階書庫にて首つり自殺 「会社に迷惑をかけました。公社債がいつかは値上がりすると思ってがんばってきたが、公定歩合もあがり自分ひとりでは責任が負えなくなった」との遺書 公社債の売れ行き不振に悩む
1980/4/6 昭和55年4月6日 東京大学法学部教授、矢沢惇が東京都文京区順天堂医院前の神田川にて入水自殺、水死体が発見される。前日夜、入院先の順天堂医院から失踪していた。
1980/4/10 昭和55年4月10日 甘栗太郎新橋店店長、増保茂夫が熱海錦ヶ浦展望台から飛び降り自殺
1980/6/5 昭和55年6月5日 喜劇俳優、岡八郎の妻、富佐枝が兵庫県尼崎市宮内町2の自宅にてビニール袋をかぶり首をネクタイで絞めて自殺。
1980/6/16 昭和55年6月16日 中部相互銀行本店経理課長、渡辺啓次郎と次男、袋井中学2年渡辺康次が愛知県北設楽郡豊根村村営牧場広場に停めた乗用車内にて排ガス自殺
1980/6/30 昭和55年6月30日 大阪大学産業科学研究室教授、西宮元が小田急線読売ランド前駅下りホームにて鉄道自殺 NHK総合研究所から阪大へ転職1ヶ月半後。
1980/7/13 昭和55年7月13日 元大蔵省名古屋国税局調査査察部長、元名古屋相互銀行常務、高宮亭二がフィリピン・ルソン島ツゲガラオ市にて首つり自殺。戦中、主計将校としてフィリピンで終戦を迎えていた。引退後、家族を名古屋に残し単身フィリピンで暮らしていた。
1980/7/18 昭和55年7月18日 埼玉県熊谷市県営玉井団地6号棟4階在住の大工、松尾憲二が、隣室の会社員、鴻野健樹を刃渡り25センチの文化包丁で刺殺後、自ら胸を刺して自殺
1980/7/24 昭和55年7月24日 被爆者で原爆の子に手記を書いた佐藤明之が福井県南条郡河野村山中に停めた乗用車内にて排ガス自殺
1980/7/25 昭和55年7月25日 東京船舶の貨物船「富士丸」船長、酒井卓也がアメリカカルフォルニア州サン・ペドロ港に入港直後、同船第4デッキいて小刀で切腹後、喉を切り自殺。同月12日公開中、バラスト事故で船が傾いたため、貨物室に注水。積み荷の自動車約200台が水没。
1980/8/27 昭和55年8月27日 山形大学前工学部長、教授、井上和夫が山形県米沢市城南4同大工学部6号館屋上より飛び降り自殺
1980/8/30 昭和55年8月30日 東京都青梅市立総合病院泌尿器科部長、島野栄一郎が国鉄国分寺駅3番線ホームにて鉄道自殺
1980/9/16 昭和55年9月16日 埼玉県比企郡鳩山村収入役、平田茂が同村石坂の雑木林にて首つり自殺。遺体が発見される。女性問題で暴力団から恐喝され12日に失踪していた。
1980/9/16 昭和55年9月16日 同志社大学工学部教授、同大学生診療施設厚生館内科担当医師、佐々木道浩が同大厚生館中庭にて刃物で首を刺して自殺
1980/10/17 昭和55年10月17日 学習院大学研究生、理学博士、沢田修が筑波山男体山南中腹にて首つり自殺。遺体が発見される。前日、筑波大学構内にてバイクに幅寄せし転倒死亡事故を起こし逃走。
1980/10/19 昭和55年10月19日 精神科医、宮田国男が帯広市内の自宅マンションにて飛び降り自殺 新橋駅前の内科画廊元オーナー。内科画廊はオノ・ヨーコ、赤瀬川原平ら当時の若手前衛芸術家の展示で有名だった。
1980/10/24 昭和55年10月24日 放送作家、渡辺ひろ子(杉江慧子)が1980年10月24日層雲峡ロープウェーにて終点黒岳五合目まで移動、直後に睡眠薬をもちいて服薬自殺した模様。1981年6月21日に白骨遺体が発見される。
1980/11/22 昭和55年11月22日 大成建設原子力部土木設計課課長代理、小県圭一が同社の入居している新宿センタービル25階非常階段から飛び降り自殺
1980/11/24 昭和55年11月24日 能楽師、工一菊松が東京都中野区野方1自宅1階南側の廊下にて首つり自殺
1980/11/29 昭和55年11月29日 建設省河川局治水課総務係長、鈴木竜雄が埼玉県草加市栄町3マンション非常階段9-10階踊り場から飛び降り自殺
1980/12/1 昭和55年12月1日 外務省専門職、駐英大使館副理事官、宮崎直子が留学先のオックスフォード大学学生寮にて自殺
1980/12/10 昭和55年12月10日 日本大学理工学部海洋工学科研究所教授、白井増次郎が東京都立川市幸町2日本住宅公団けやき台団地1号棟2階自宅ベランダにて焼身自殺
1980/12/17 昭和55年12月17日 東京大学農学部農業経済学科助教授、秋野正勝が横浜市金沢区釜利谷町市民の森ハイキングコース遊歩道脇にて首つり自殺。遺体が発見される。15日昼に失踪。
1980/12/17 昭和55年12月17日 横浜市立一本松小学校4年、高橋真介(10)が自宅にて首吊り自殺
1980/12/18 昭和55年12月18日 東京農業大学講師、西島英雄が神奈川県平塚市南金目の自宅にて服毒自殺
1981/1/8 昭和56年1月8日 KDD事件:元郵政相電気通信参事官、日高英実が目黒区五本木1の実家にてタバコを湯に溶かし飲み自殺(未遂)。KDDから欧州旅行接待を受け収賄罪で公判中。
1981/1/9 昭和56年1月9日 東京都渋谷区神宮前、私立国学院高校化学担当教師が西武池袋線秋津駅上りホームにて鉄道自殺 1980年11月7日に同校2年生徒が教師に暴行事件をおこし自主退学を勧告された。15日、同校教師が自民党参議院議員源田実の事務所に呼ばれ第一秘書山崎工より退学撤回を求められたが同校は拒否していた。
1981/1/28 昭和56年1月28日 日本原子力発電敦賀発電所保修課員、前田元が敦賀市松島町の日本原電独身寮自室にて首つり自殺 同原発では4月に事故隠しが内部告発で判明していた。
1981/1/29 昭和56年1月29日 広島県福山市立桜丘小学校長、藤井千丈が同校から約2キロ離れた山道に停めた自家用車内にて包丁で右手首を切り自殺。遺体が発見される
1981/1/31 昭和56年1月31日 広島県豊田郡本郷町立北方小学校長、平野正宏が職員朝礼前に同校内教育相談室にてカッターナイフで手と首を切り自殺
1981/3/15 昭和56年3月15日 元石原プロダクション専務、映画プロデューサー、中井景が千葉県香取郡山田町新里の自宅東の山道で焼身自殺。石原プロ映画『黒部の太陽』『太平洋ひとりぼっち』企画・制作を担当した。
1981/3/17 昭和56年3月17日 前衛俳句の鬼才、赤尾兜子が神戸市東灘区御影町西平野の阪急神戸線にて鉄道自殺
1981/3/18 昭和56年3月18日 プロゴルファー佐々木きぬが首つり自殺
1981/3/26 昭和56年3月26日 北海道大学医学部癌研究室教授、板倉克明が同大板倉研究室にて首つり自殺
1981/4/4 昭和56年4月4日 早稲田大学商学部成績原簿偽造事件:早稲田大学総長室調査役、堀口定良が東京都新宿区西早稲田の大学本部1号館4階より飛び降り自殺、19日に死亡 商学部では昭和20年代からスポーツ推薦入学した生徒の成績を偽造していた。
1981/4/5 昭和56年4月5日 中山競馬場A投票所裏のトイレにて身元不明の男が裸の電気コードをガムテープで左胸に貼り付け、換気扇のコンセントに差し込み感電自殺。競馬新聞に赤サインペンで「おれはお馬で人生アウト。もしできたら医学用に使ってください」などと書き置き。お馬で人生アウト の名文句が有名に。
1981/4/8 昭和56年4月8日 劇作家、金具省三が鎌倉市山ノ内232-71自宅庭にて首つり自殺
1981/5/9 昭和56年5月9日 世田谷区北烏山9の大工、田島義彦が新宿西口京王デパート8階屋上南西から飛び降り自殺し死亡、巻き添えで歩道の23歳会社員男性が翌日死亡。
1981/5/21 昭和56年5月21日 競艇汚職:神戸海運局船舶部長、谷田俊継が神戸市中央区国鉄元町駅下りホームにて鉄道自殺。尼崎競艇をめぐる汚職で元部下が逮捕され、県警から事情聴取されていた。
1981/5/24 昭和56年5月24日 鶯谷通り魔殺人事件:失業中のとび職、鈴木秀丸が鶯谷の寿司屋銀八のカウンターから包丁を強奪し、偶然近くを通りがかった千葉県鎌ヶ谷の写真製版会社社長を刺殺、包丁を捨て逃亡中、近くの寿司屋寛八にて包丁を奪い、店の前で切腹 この年、通り魔事件多発。
1981/7/2 昭和56年7月2日 美術商、野田佳邦が都営浅草線高輪台-泉岳寺駅間にて鉄道自殺 故熊谷守一画伯の贋作を多数販売していた。
1981/7/6 昭和56年7月6日 相模工業大学教授、日野辰郎の水死体が静岡県沼津市千本浜海岸にて発見される。同大では学長選挙で理事長と教授会が対立、学長選挙で当選した教務部長が理事会の承認を得られず退任に追い込まれていた。日野辰郎は6月18日に教務部長に任命されたが22日に失踪。7月3日理事会は教職員による選挙を廃止し、糸山英太郎理事長が学長に選出された。
1981/7/9 昭和56年7月9日 落語家、春風亭一柳が東京都葛飾区金町駅前団地2号棟10階非常階段から飛び降り自殺
1981/7/15 昭和56年7月15日 洋画家、山本弘が首つり自殺
1981/8/16 昭和56年8月16日 フリーアナウンサー久米宏の29歳愛人が赤坂の事務所トイレにて睡眠薬を飲み、左手首を自傷し自殺未遂。
1981/9/15 昭和56年9月15日 蓮の実グループ不正経理事件:福岡県の福祉施設蓮の実グループ、社会福祉法人上横山保育会理事長、森田円と妻紹子が福岡県八女郡上陽町納又の自宅物置にて首つり自殺 精薄者施設や助産施設への補助金約4千万円を流用していた。
1981/9/16 昭和56年9月16日 豊島青果信用組合板橋支店次長、小森信弘が関越自動車道にて交通事故を起こした後、跨線橋より飛び降り自殺。同乗の支店長は重体。二人は詐欺師、岩城留美から偽公文書で5億円不正貸し出した事件に関与、事故は警察が出頭を求めた朝に発生した。
1981/9/16 昭和56年9月16日 文部省初等中等教育局小学校教育課研修係長、木村守男が埼玉県和光市、東武東上線和光市駅2番ホームにて鉄道自殺 この日、係長に昇進する辞令を受ける予定だった。
1981/9/28 昭和56年9月28日 福岡大学医学部付属病院臨床検査一部生化学検査室技師、井上弘幸が福岡市西区金山団地の自宅にて首つり自殺 同部では検査技師7人がタリウム中毒を起こしていた。
1981/10/20 昭和56年10月20日 東北大学教授、金属材料研究所付属材料試験炉利用施設研究グループ代表、矢島聖使が茨城県大洗町大貫町853の同大大洗宿舎にて首つり自殺
1981/10/26 昭和56年10月26日 東京都都市計画局地域計画部土地利用計画課長、雨宮乾が川崎市多摩区生田7小田急線生田駅上りホームにて鉄道自殺
1981/10/27 昭和56年10月27日 富士重工業営業管理部第2課長、松下功が自社に対する恐喝事件で逮捕、新宿警察署での取調べ中、メガネを割り破片で首を切り自殺(未遂)
1981/10/29 昭和56年10月29日 大阪高等裁判所判事、川端敬治が神戸発日向行、日本カーフェリーみやさきより入水、11月20日に淡路島付近にて水死体発見
1981/10/30 昭和56年10月30日 ゼコム社長、伊藤富美夫が仙台青葉城址裏、八木山橋から飛び降り自殺 2年前、9億円盗難と狂言
1981/11/1 昭和56年11月1日 城南信用金庫本店調査部調査役、白木貞治が東京都板橋区板橋2東武東上線下板橋-大山駅間にて鉄道自殺 融資先に広域暴力団国粋会関係企業がありショックで近くの病院に入院していた。
1981/11/21 昭和56年11月21日 埼玉県比企郡滑川村の会社員、長島義次が埼玉県大里郡川本町畠山の山林に停めた乗用車内にて排ガス自殺。遺体が発見される。11月15日滑川村長選挙の選挙違反事件の参考人として警察から出頭を求められた20日朝、失踪していた。
1981/11/26 昭和56年11月26日 広島県教育委員会学校管理課長、赤木利彦が自殺にて首つり自殺 多発する広島県内の教員自殺事件の現場指導を担当していた

1981/12/7 昭和56年12月7日 北炭夕張事故:北炭夕張炭鉱社長、林千明が東京都中央区日本橋室町3三井ビル別館7階にて手首を切り自殺(未遂) 12月15日に北炭は倒産。
1981/12/11 昭和56年12月11日 鹿児島県薩摩郡下甑村立海星中学校長、長倉鉄男が同校小会議室にて首つり自殺
1982/1/1 昭和57年1月1日 埼玉県立鷲宮高校野球部監督、宮内義夫が同校グランドに停めたライトバン車内にて焼身自殺。4日前、冬休み合宿中に同部員が喫煙し、即合宿を解散していた。
1982/2/11 昭和57年2月11日 広島県山県郡筒賀村立筒賀小学校教頭、小野昭三が同郡豊平町の自宅土蔵にて首つり自殺
1982/3/22 昭和57年3月22日 千葉県立流山中央高校長、福原憲司が千葉県安房郡富浦町大津の自宅にて服毒自殺 翌23日死亡 「一連の事件は校長の適切な処置を欠いたもので、おわびします。もう、すっかり疲れました。静かに眠らせてください。」と遺書 校内暴力で学校が荒れ、来年度募集では志望者激減で定員の半数が合格、県最悪の定員割れ校となっていた。
1982/3/30 昭和57年3月30日 国鉄大分県佐伯電力支区助役、今永健三が大分県南海部郡蒲江町の海岸にて車ごと海へ転落し自殺
1982/4/4 昭和57年4月4日 日本テレビエンタープライズ常務制作部長、秋本近史が東京都新宿区新宿5の11階建てマンション屋上にて果物ナイフで両手首を自傷後、飛び降り自殺。「不治の病にかかった。許してくれ」と遺書 テレビ番組『シャボン玉ホリデー』元ディレクター
1982/4/4 昭和57年4月4日 チェンバロ奏者、留学生、舟津保子がオーストリア、ウィーン市12区シャラー通りのアパートにて首つり自殺
1982/4/4 昭和57年4月4日 人気テレビ番組シャボン玉ホリデー元プロデューサー、日本テレビエンタープライズ乗務・制作部長、秋元近史が新宿区新宿5の11階建てマンション屋上から飛び降り自殺。
1982/4/4 昭和57年4月4日 日野市日野第2小学校5年、杉山美穂子がぶらさがり健康器に布製のベルトをかけ首吊り自殺
1982/4/5 昭和57年4月5日 日本航空操縦士、菅原克己が熱海錦ヶ浦展望台から飛び降り自殺
1982/4/16 昭和57年4月16日 プロレタリア青年同盟、原勲が東京大学本郷キャンパス工学部5号館屋上エレベーター機械室窓から飛び降り自殺。言動がおかしいと東大病院精神科に入院中だった。成田空港管制塔事件で逮捕、1982年4月9日保釈。
1982/5/24 昭和57年5月24日 沖縄県警本部警備課巡査、富里真周が沖繩市内のホテルで自称(未遂)サラ金の返済に困り、連続銀行強盗
1982/5/25 昭和57年5月25日 大相撲、花籠親方こと輪島婦人、花籠五月がガス自殺(未遂)
1982/5/26 昭和57年5月26日 北海道開発局官房長、小池昭夫が札幌市中央区北3条西4札幌第一合同庁舎5階トイレ窓から飛び降り自殺
1982/6/4 昭和57年6月4日 電電公社東京電気通信局文書広報課組織係長、流孝志が東京都港区六本木1第25森ビルにて飛び降り自殺
1982/7/15 昭和57年7月15日 元西武信用金庫小平支店融資係長、下田徂功と妻子4人が富士スバルライン1合目付近駐車場に停めた乗用車内にて排ガス自殺 伝票操作で3千万円を詐取、告訴されていた。
1982/7/17 昭和57年7月17日 作家、江夏美好が愛知県名古屋市千種区池上町1の自宅にて首つり自殺 口腔癌闘病記「針千本 私のガン闘病記」を4月まで中日新聞に連載。原稿用紙にボールペンで遺書「死だけが私の唯一のあこがれ。よりよく死にたい」遺稿『針千本 私のガン闘病記』河出書房新社
1982/8/11 昭和57年8月11日 東京都福生市熊川の会社員、労働組合委員長、加来荘一が、東京都秋川市引田三ノ谷前の秋川河川敷に停めた軽乗用車内にて排ガス自殺
1982/10/28 昭和57年10月28日 千葉県流山市助役、榎本清次郎が自宅物置にて首つり自殺。市立中学校建設に関連して収賄容疑で逮捕状が出ていた。
1982/11/2 昭和57年11月2日 大阪府警賭博機汚職事件:大阪府警布施署防犯課保安係巡査部長、古市忠光が奈良市山稜町平城第二団地の自宅にて首つり自殺。遺体が発見される。
1982/11/12 昭和57年11月12日 大阪府警賭博機汚職事件:警察大学校長、杉原正が川崎市麻生区千代ヶ丘5の自宅近くの物置にて首つり自殺 事件当時、大阪府警本部長だった。
1982/12/13 昭和57年12月13日 元東京都武蔵野市納税課管理係長、高橋秀夫が同市吉祥寺北町3の自宅にて首つり自殺。自宅の課税台帳を操作し、1133万円課税逃れで市から告訴されていた。
1982/12/24 昭和57年12月24日 横浜市立岡村中学校3年の少女3人が横浜市磯子区磯子3日本勤労者住宅協会横浜磯子住宅屋上から飛び降り自殺
1982/12/29 昭和57年12月29日 通産省立地公害局総務課長、佐藤素祥が東京都千代田区霞が関1通産省新館屋上西から飛び降り自殺
1983/1/9 昭和58年1月9日 衆議院議員、自民党、中川一郎が札幌パークホテル10階スイートルーム浴室にて首つり自殺
1983/1/28 昭和58年1月28日 衆議院議員、社会党、松本幸男が埼玉県所沢市狭山ヶ丘1自宅車庫にて首つり自殺
1983/2/5 昭和58年2月5日 鉄工所経営、川辺定雄が東京都町田市小野路町の林道に止めた乗用車内にて練炭自殺
1983/2/10 昭和58年2月10日 山口県萩市長、菊屋嘉十郎が米子市皆生温泉緒館東光園にて首つり自殺 東萩駅周辺開発に失敗
1983/2/25 昭和58年2月25日 大阪日日新聞編集局長、市原安夫が大阪府堺市金岡町府営住宅中百舌団地の自宅便所にて首つり自殺
1983/2/25 昭和58年2月25日 横須賀市宅地造成にからむ市職員の汚職事件において、土木会社社長、鈴木源司が横須賀市太田和2の自宅にて散弾銃自殺 県警捜査員が自宅をたずね、参考人として任意同行を求めた直後だった。
1983/3/17 昭和58年3月17日 京都芸術大学教授、陶芸家、近藤豊が京都市山科区西野山岩ヶ谷の自宅にて首つり自殺 うつ病
1983/3/17 昭和58年3月17日 九州相互銀行東京支店警備員、同銀行経堂寮管理人、蓮尾清彦が世田谷区経堂2同行経堂寮にて猟銃で喉を撃ち自殺
1983/4/12 昭和58年4月12日 国鉄長崎客貨車区主席助役、松原久信が長崎市畝刈町、新長崎漁港岸壁から乗用車ごと海へ込み入水自殺
1983/5/1 昭和58年5月1日 放送作家、金井敬三が埼玉県浦和市領家5の自宅にて首つり自殺
1983/5/4 昭和58年5月4日 テレビドラマ脚本家、泊里仁美が神奈川県葉山町の海岸にて入水自殺、TBS昼のテレビドラマ『女、かけこみ寺』のシナリオを担当していたが、途中降板させられていた。
1983/6/28 昭和58年6月28日 俳優、沖雅也が新宿京王プラザホテル本館47階南東のL字非常口用バルコニーから7階スカイプール北西へ飛び降り自殺。遺書「人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。若さも健康も生きていることもどんな意味があるというのか。おやじ涅槃でまってる。沖雅也」
1983/7/9 昭和58年7月9日 神奈川県横須賀市立粟田小学校長、伊藤和男が同市汐入町の自宅庭にて首つり自殺。
1983/8/24 昭和58年8月24日 元住友銀行副頭取、前日本貿易振興会理事長、西村純平が入院していた大阪市北区中之島5住友病院9階病室から飛び降り自殺
1983/8/26 昭和58年8月26日 女優、今泉陽子がTBS緑山スタジオ宿舎5階から飛び降り自殺
1983/9/3 昭和58年9月3日 タレント高部知子の喫煙写真をマスコミにリークした元交際相手、東京都世田谷区の無職18歳が茨城県東茨城郡桂村錫高野の林道にとめた乗用車内にて排ガス自殺
1983/9/4 昭和58年9月4日 群馬県立武尊高校1年、山田勝美と同校1年の従姉妹の2人が群馬県高崎市請地町の3階建て中華料理店の屋上から飛び降り自殺。山田勝美が死亡、従姉妹は重傷。
1983/9/26 昭和58年9月26日 会社員、小松原緑が自殺を示唆し社員寮から失踪。東京都千代田区内幸町2富国生命ビル屋上西側から飛び降り自殺。西側花壇の中央部に落下、植栽の土が柔らかく頭から太腿まで土にめり込む。露出した足も植栽に隠れたため同年12月23日の発見まで誰も気付かず、発見時足は白骨化。推定死亡時期は9月下旬。
1983/10/14 昭和58年10月14日 東京オリンピック陸上選手、依田郁子が茨城県豊里町今鹿島2348の自宅で首つり自殺 80mハードルで5位入賞
1983/10/24 昭和58年10月24日 埼玉銀行蕨東支店長代理、奥村美樹が静岡県小笠郡大須賀町西大淵、西大谷川河川敷に停めた状況車内にて焼身自殺
1983/11/18 昭和58年11月18日 臨済宗南禅寺派大本山、南禅寺第10代管長、第338世住職、勝平宗徹が同寺境内僧堂の物置にて首つり自殺
1983/12/16 昭和58年12月16日 日本銀行青森支店長、佐藤弘光が同市勝田2日本銀行青森支店長住宅にて首つり自殺
1983/12/26 昭和58年12月26日 青森市議会議員、川口光伸が同市三内稲元の自宅2階で次男を絞殺後、車庫にて妻レイ子と共に首つり自殺。
1983/12/28 昭和58年12月28日 阪神タイガースにドラフト1位で入団した投手、中西清起、通称球道くんの父で宿毛信用金庫非常勤理事、中西光之進が同信金本店2階廊下から飛び降り自殺
1984/1/3 昭和59年1月3日 関西大学社会学部教授、小川肇が大阪府吹田市竹見台2付近を走行中のタクシー車内にて出刃包丁で胸を刺し自殺。翌4日死亡。
1984/1/3 昭和59年1月3日 茨城県牛久町立向台小学校教師、坂本泰彦が同校の自分の担任するクラス教室にて首つり自殺
1984/1/14 昭和59年1月14日 カーネギーメロン大学研究員、生化学者、目邦雄がアメリカペンシルバニア州ピッツバーグ市内の自宅浴槽にて首つり自殺
1984/1/16 昭和59年1月16日 社会福祉法人日本ライトハウス会長、世界盲人福祉協議会副会長、岩橋英行が兵庫県西宮市樋之池町の自宅納屋にて首つり自殺。
1984/1/17 昭和59年1月17日 元東京テアトル社長、吉岡定美が東京都港区赤坂8自宅マンションの7階ベランダから飛び降り自殺
1984/1/21 昭和59年1月21日 防衛庁海上幕僚監部防衛部教育第一課学校第一班長兼教範第一班長、一等海佐、池田順一が東京都港区赤坂9防衛庁2号館北側6階踊り場から飛び降り自殺
1984/2/2 昭和59年2月2日 法政大学工学部教授、笠島正行が東京都文京区本郷7東京大学工学部5号館屋上より飛び降り自殺
1984/2/5 昭和59年2月5日 明治大学政治経済学部2年、小川喜和が東京都練馬区関町北2桜井荘15号室にてガス自殺。「自殺こそ唯一の哲学。死ぬのは怖いことじゃない」と遺書
1984/3/8 昭和59年3月8日 ブラックジャーナーリスト、元武富士従業員、東山弘里が東京都千代田区紀尾井町4ホテルニューオータニ本館3階客室にて手と首を切り自殺(未遂) 立正佼成会会長庭野を名乗り宮沢喜一もと外相を呼びだし灰皿で暴行後、自殺を図った。東山は過去に武富士社長恐喝で逮捕歴がある。
1984/3/20 昭和59年3月20日 日立製作所水戸工場長、今泉藤麿が茨城県勝田市の同工場エレベーター試験塔13階から飛び降り自殺
1984/4/18 昭和59年4月18日 東京都千代田区丸の内1東京海上火災ビル屋上から30代女性が飛び降り自殺
1984/5/8 昭和59年5月8日 東京オリンピック自転車競技選手、競輪A級選手、山藤浩三が茨城県取手市井野3の自宅にて妻子3人と共にガス自殺
1984/5/16 昭和59年5月16日 山陽電鉄車掌、前田春雄が神戸市須磨区若木町2山陽電鉄天井川東第1踏切東30mにて鉄道自殺。9日に六甲駅で起きた電車衝突事故の車輌にて車掌業務をおこなっており、連日事情聴取を受けていた。
1984/5/23 昭和59年5月23日 豊田商事事件:豊田商事に約6000万円を騙し取られた青森県八戸市の男性が首つり自殺
1984/6/3 昭和59年6月3日 吉本新喜劇の漫才師、中山三吉が首つり自殺
1984/6/9 昭和59年6月9日 大阪市和泉市立久保惣記念美術館名誉館長、3代目久保惣太郎が同市内田町の自宅にて首つり自殺 同美術館は地元で繊維業を営む久保家3代の美術品と旧邸宅を和泉市へ寄付して出来たもの。
1984/6/16 昭和59年6月16日 俳優、宇南山宏が国鉄高田馬場駅にて鉄道自殺。劇団「協」所属。日活ロマンポルノなどに出演。
1984/7/20 昭和59年7月20日 大阪大学医学部放射線科教授、重松康が神戸市東灘区岡本3ハイツ中岡7階非常階段から飛び降り自殺
1984/7/26 昭和59年7月26日 長崎県五島上五島町長、道津明が長崎市赤迫町の雑木林にて首つり自殺。元同町教育長。同月12日の町長選で無投票初当選。
1984/7/29 昭和59年7月29日 自然保護活動家、青木産婦人科病院長、青木正博が長野県諏訪郡富士見町境葛窪の青木天文台2階にて首つり自殺 新田次郎の小説『霧の子孫たち』のモデル
1984/8/22 昭和59年8月22日 国鉄川口駅駅長石川尚が北浦和駅1番線ホームにて鉄道自殺
1984/8/30 昭和59年8月30日 作家、有吉佐和子が杉並区の自宅にて心筋梗塞で病死。(家族は自殺を否定しているが最初に搬送された杏林大学病院の精神科医、田島治は著書の中で「多量の睡眠薬の服用により」と記述している。)
1984/9/6 昭和59年9月6日 東京都墨田区立曳舟中学校教師、照沼猛が神奈川県足柄下郡箱根町塔之沢の吊り橋より早川へ飛び降り自殺
1984/9/10 昭和59年9月10日 国鉄鉄道研究所主任研究員、北明夫が横浜市保土ケ谷区岩井町国鉄保土ケ谷寮5階自室にて首つり自殺。遺体が発見される。死後約2日経過
1984/9/13 昭和59年9月13日 漫画家、ちばあきおが練馬区富士見台3、仕事場2階4畳半の仕事場にて電気コードをもちいて首つり自殺
1984/9/22 昭和59年9月22日 高知県吾川郡春野町議会議員、川崎実が高知市高知署内駐車場に停めた軽乗用車内にて農薬を用いて服毒自殺
1984/9/30 昭和59年9月30日 マルクス経済学者、岡崎次郎と妻クニが家財を整理し6月6日より死出の旅に出る。9月30日、大阪のホテルに宿泊した後、二人の足取りは途絶えた。
1984/11/19 昭和59年11月19日 埼玉県鳩ケ谷市桜町2会社員26歳男性が東京都北区浮間1都営住宅六号棟10階通路より飛び降り自殺、巻き添えで偶然直下を自転車で通行中の同棟居住47歳男性に衝突、2人とも重傷
1984/11/20 昭和59年11月20日 労働省政策調査部統計調査第二課企画調整係長、森隆司が東京都千代田区霞が関1、中央合同庁舎五号館19階よりダスターシュートに身を投げて自殺
1984/12/3 昭和59年12月3日 長野県松川村立松川中学3年尾山奈々が自宅裏の物置にて首つり自殺。後に遺稿集『花を飾ってくださるのなら 奈々十五歳の遺書』が出版された。
1984/12/14 昭和59年12月14日 中野区在住の私立大1年男性20歳が東京都中野区中野5ビル7-8階踊り場から飛び降り自殺、巻き添えで偶然通りがかりの東急百貨店吉祥寺店外商部員渡辺隆に衝突、私大生は重傷、渡辺隆は重体。
1984/12/19 昭和59年12月19日 登山ライターで元出版社経営、彦坂五郎が全財産を市川市の聖愛乳児園に寄付する遺言公正証書を作成したのちに千葉県市川市江戸川河川敷にてナイフで胸を刺して自殺 著作『ハロー・夏山-登山入門』
1984/12/27 昭和59年12月27日 日本工営副社長、吉沢重之が東京都千代田区麹町5、日本工営本社9階役員第1応接室から飛び降り自殺
1985/1/4 昭和60年1月4日 在日韓国人2世作家、金鶴泳が群馬県多野郡新町の実家にてガス自殺 代表作『凍える口』
1985/1/7 昭和60年1月7日 不二興産会社取締役、須釜嘉彦が東京都千代田区大手町2、日本ビル5階、同社西側窓から飛び降り自殺
1985/1/12 昭和60年1月12日 横浜市緑区千草台の主婦、前田三枝子が横浜市緑区北八朔町の東名高速道路高架橋、榎谷戸橋より14m下の上り車線へ飛び降り自殺。巻き添えで避けようとした車が横転し運転手の女性が死亡
1985/1/15 昭和60年1月15日 茨城大理学部教授、小沼直樹が茨城県新治郡桜村天王台1、筑波大学第3学群F棟非常階段12階から飛び降り自殺
1985/1/17 昭和60年1月17日 経企庁経済研究所国民所得部国民経済計算調査室長、細淵勝敏がタイ、バンコクのアンバサダーホテル14階から飛び降り自殺
1985/2/3 昭和60年2月3日 自民党東京都議会議員、花山寧が豊島区北大塚3-25-7自宅ふろ場にて自殺
1985/2/16 昭和60年2月16日 横浜市立並木小学校5年、杉本治が横浜市金沢区並木さざなみ団地14号棟の13-14階踊り場から飛び降り自殺、現場に担任教師をなじる言葉「マー先のバカ」が残されていた。後に『マー先のバカ 小学5年生が遺した日記』が出版された。
1985/3/21 昭和60年3月21日 気象庁気象研究所台風研究部第3研究室長、荒井康が茨城県新治郡桜村吾妻1、公務員宿舎13階踊り場から飛び降り自殺。
1985/4/5 昭和60年4月5日 漫画家、いそべみえこ(磯部三枝子)が山形県温海町小岩川の海岸より入水自殺、5日に酒田市浜中の海岸に遺体が漂着 代表作『おさげちゃん』
1985/4/15 昭和60年4月15日 オートバイレーサー、バイク洋品店ひろこの店主、堀ひろ子が首つり自殺
1985/4/27 昭和60年4月27日 元日本共産党政治局員、伊藤律の実弟、伊藤兢哉が岐阜県瑞浪市土岐町の自宅にて首つり自殺
1985/5/1 昭和60年5月1日 和歌山県警湯浅警察署署長、迎井昌己が有田郡湯浅町湯浅の湯浅署長公舎にて首つり自殺
1985/5/9 昭和60年5月9日 女優、若山セツ子が東京都調布市東つつじヶ丘山田病院204号室で首つり自殺
1985/5/10 昭和60年5月10日 熊本市健軍町の医師、藤本徳久が妻と孫の首をナタで切った後、浴槽内で首をナタで切り自殺
1985/5/12 昭和60年5月12日 相模原市の34歳男性会社員が根岸線関内駅前横浜センタービル(12階建)屋上から飛び降り自殺、庭園灯の真上に落ち即死。巻き添えで飛び散った庭園灯の破片が小中学生2人にあたり軽傷
1985/5/20 昭和60年5月20日 新潟県松之山町坪野、村山吉ノが自宅裏の水深30センチの池にて入水自殺。104歳の自殺。
1985/5/22 昭和60年5月22日 南郷町農業委員会事務局長佐々木文夫が鳴瀬川堤防の立ち木にて首つり自殺
1985/5/22 昭和60年5月22日 南郷町農業委員会事務局次長畑中弘子が南郷町大柳砂押の自宅物置にて首つり自殺
1985/6/12 昭和60年6月12日 大蔵省証券局総務課課長補佐、宇野功人が東京都千代田区霞が関3,大蔵省本館屋上から飛び降り自殺
1985/7/7 昭和60年7月7日 法政大学経済学部4年染谷昌寿が新宿駅南の新宿GSビル4階から飛び降り自殺。4階に入居している教育機器販売会社とトラブルをおこしていた。
1985/7/10 昭和60年7月10日 週刊ポスト、週刊現代創刊時の編集長、小学館社員荒木博の水死体が千葉県山武郡九十九里町粟生の海岸にて発見される。
1985/7/12 昭和60年7月12日 元国鉄機関士、伊藤和正が八王子警察署留置場トイレにて首つり自殺。婦女暴行容疑などで拘置中。
1985/7/23 昭和60年7月23日 環境庁企画調整局企画調整課計画調査室長補佐、富窪望体が千葉県習志野市実籾町4の林にて睡眠薬をもちいて服薬自殺。遺体が発見される
1985/8/7 昭和60年8月7日 グリコ・森永事件:滋賀県警本部長、山本昌二が大津市松本1-9滋賀県警官舎にて焼身自殺
1985/8/27 昭和60年8月27日 新橋駅出札窓口業務中に119万円を盗まれた国鉄新橋駅営業係駅長室電話係、島田信一が総武線新小岩駅ホームにて鉄道自殺
1985/9/7 昭和60年9月7日 大妻女子大学2年、奥田千香子が東京都港区高輪、衆議院議員宿舎11階廊下から飛び降り自殺 衆議院議院、奥田敬和の次女
1985/9/7 昭和60年9月7日 洋画家、鴨居玲が神戸市の自宅にて排ガス自殺。(姉にスキャンティーの発案者、下着デザイナーの鴨居羊子がいる)
1985/9/15 昭和60年9月15日 日教組本部と三重県教組に小包爆弾を郵送した島根県松江市の政治団体、尊王義塾仁義社代表、安藤三蔵が松江市嫁島町の尊皇義塾仁義社2階にて拳銃自殺
1985/9/21 昭和60年9月21日 日本航空123便墜落事故被災者相談室、富永弘雄が横浜市旭区中沢町の自宅にて果物ナイフで自傷し自殺
1985/9/23 昭和60年9月23日 アフタヌーンショーやらせリンチ事件被害者の母親が国鉄青梅線福生市福生本町踏切にて鉄道自殺
1985/9/27 昭和60年9月27日 俳優、大友柳太郎が東京都港区南青山5マンション屋上から飛び降り自殺 往年の剣豪スター、代表作は映画『怪傑黒頭巾』シリーズ
1985/10/5 昭和60年10月5日 京福電鉄バス運転手、中野敬一郎が中央自動車道須玉インター約2キロ北にて死傷者64名の転落事故を起こした直後、事故現場から南へ約200m離れた小川そばのクルミの木にて首つり自殺
1985/10/12 昭和60年10月12日 科学技術庁無機材質研究所技官、川田功が桜村並木1、無機材質研究所本館3階から飛び降り自殺
1985/10/14 昭和60年10月14日 社会福祉法人信光園理事長、森田信行が宝塚市境野中山田の山中にて農薬パラコートを用いて服毒自殺、翌15日死亡
1985/10/21 昭和60年10月21日 歌手フランク永井が目黒区下目黒5の自宅螺旋階段にて首つり自殺(未遂) 重い後遺症で歌手活動が不可能に、2008年10月27日に死亡
1985/10/28 昭和60年10月28日 日本鋼管企画部次長、見城昭一が神奈川県座間市入谷5、小田急線踏切にて鉄道自殺
1985/11/20 昭和60年11月20日 東京都大田区羽田中学校2年亀田千春が東京都大田区羽田4マンション10階から飛び降り自殺 いじめを強制され拒否して自殺 羽田中学校では5月にも3年佐藤美由樹が都営東糀谷住宅8階から飛び降り自殺していた。
1985/12/4 昭和60年12月4日 日興国際投資顧問社社長、藤川五郎が東京都千代田区丸の内2、東京ビル5階から飛び降り自殺
1985/12/8 昭和60年12月8日 タレント、北野誠の父が自宅庭にて灯油をかぶり焼身自殺
1985/12/14 昭和60年12月14日 山形市立第十小学校教師、伊藤範子が同校屋上から飛び降り自殺
1985/12/19 昭和60年12月19日 西武セゾングループ演劇準備室長、元東京宝塚劇場支配人の大河内豪が国鉄埼京線中浦和駅下りホームにて鉄道自殺
1985/12/20 昭和60年12月20日 財団法人ダム技術センター理事長、元建設省事務次官、稲田裕が川崎市高津区溝口マンション非常階段13階から飛び降り自殺
1985/12/25 昭和60年12月25日 東京工業大学工学部教授、華山謙が東京都中野区東中野1、氷川公園簡易トイレ内にて焼身自殺
1986/1/24 昭和61年1月24日 日本一地価が高い場所で有名な銀座鳩居堂社長、熊谷道一が板橋区高島平3-11-1高島平団地1号館にて飛び降り自殺
1986/1/26 昭和61年1月26日 女子美術大学洋画科4年武田幸子が杉並区和田1-49-8同大2号館屋上にて灯油をかぶり焼身自殺
1986/1/27 昭和61年1月27日 西松建設元専務の未亡人、西松きよみを絞殺した、長女の交際相手のデートクラブ経営者、赤松範一が広島城にて自殺
1986/1/28 昭和61年1月28日 元オリンピック馬術監督、全日本学生馬術連盟会長、青山幸高の水死体が東京都東大和市の多摩湖にて発見される。死後約1ヶ月半経過。
1986/2/1 昭和61年2月1日 中野富士見中学いじめ自殺事件:「このままじゃ生きジゴクになっちゃうよ」との遺書を残し東京都中野区中野富士見中学校2年鹿川裕史が盛岡駅ビル、フェザン地下1階トイレにて首つり自殺。「葬式ごっこ」といった陰湿ないじめが社会問題に
1986/2/17 昭和61年2月17日 作家、鈴木いづみが自宅にて二段ベッドにストッキングをかけて首つり自殺 代表作『声のない日々』。夫は1978年9月9日に睡眠薬自殺したジャズサックス奏者、阿部薫。
1986/2/21 昭和61年2月21日 埼玉県上尾市立上平中学校教師、本多哲が同校5階建て校舎屋上から飛び降り自殺
1986/2/27 昭和61年2月27日 田中角栄元首相第1秘書、田中利男が東京都新宿区中落合3の自宅で首つり自殺
1986/3/23 昭和61年3月23日 フィリピン人民革命:通産省経済協力部社会開発事業係長、対フィリピン円借款プロジェクトなど経済協力を担当していた越野佳孝が地下鉄千代田線綾瀬駅上りホームにて鉄道自殺
1986/3/25 昭和61年3月25日 元神奈川県警鶴見署巡査部長、小沢弘が三菱銀行横浜支店にて拳銃自殺。友人と同銀行にて人質監禁強盗事件をおこし籠城中だった。
1986/3/28 昭和61年3月28日 筑波研究学園都市研究者連鎖自殺(10):建設省建築研究所第5研究部防火研究員、森下弥三郎が茨城県新治郡桜村吾妻4丁目公務員住宅にて首つり自殺。遺体が発見される。
1986/3/30 昭和61年3月30日 女子高生モデル、遠藤康子が東京都台東区のビルの7階屋上から飛び降り自殺
1986/4/8 昭和61年4月8日 アイドル歌手、岡田有希子が東京都新宿区四谷4、大木戸ビル7階から飛び降り自殺
1986/4/11 昭和61年4月11日 東京都江戸川区篠崎4、無職、新井博子18歳と妹で同区立篠崎二中1年、祥代12歳が同区江戸川5都営住宅4号棟11階から抱き合って飛び降り自殺。翌87年3月、新井博子の漫画遺稿『グッバイティーンズ―新井博子遺稿作品集』が大正屋出版から刊行された
1986/4/15 昭和61年4月15日 16歳の少女が神戸市のマンション13階廊下にて「岡田有希子さんのようになりたい」と言い残し、妹の目の前で飛び降り自殺。
1986/4/19 昭和61年4月19日 千葉県勝浦市の海岸で、若い男性が岩場に飛び降り自殺。鞄の中に岡田有希子特集の雑誌。
1986/4/22 昭和61年4月22日 富山市の高校2年男が同市海岸通のレジャープールの飛び込み台から飛び降り自殺。岡田有希子の自殺にショックをうけていた。
1986/4/24 昭和61年4月24日 千葉県松戸市の中学1年女が同市のマンション13階から飛び降り自殺。岡田有希子のファンで事件後は繰り返しビデオをみていた。
1986/4/28 昭和61年4月28日 洋画家、石河彦男が自殺
1986/5/2 昭和61年5月2日 岡田有希子の自殺現場のビル屋上より男が飛び降り自殺 当初、男は大木戸ビル屋上へのぼったが、屋上周囲は全面カンバンの壁に阻まれて外に出ることが出来ない。男は隣のビルから大木戸ビル屋上看板外側のパラペットへ飛び移った後に飛び降り自殺。岡田有希子は屋上から飛び降りたと言われるが屋上へ出ても外へは出られない。
1986/5/3 昭和61年5月3日 第1回全日本ゲートボール大会優勝の前橋MGBCメンバー、野口勇が群馬県勢多郡宮城村柏倉の自宅にて農薬を用いて服毒自殺、14日に死亡
1986/5/23 昭和61年5月23日 輪島年寄株担保事件:11代花籠親方中島昶光の未亡人、中島トミが八王子市横川町の別荘物置にて首つり自殺
1986/6/11 昭和61年6月11日 山梨県労政課長、丹沢康夫が山梨県中巨摩郡田富町大田和の笛吹川河川敷にて焼身自殺
1986/6/13 昭和61年6月13日 青森グランドホテル社長、三浦貞夫が自宅近くのカギのかかった車庫にて排ガス自殺?
1986/6/16 昭和61年6月16日 収賄容疑で逮捕、起訴されていた福岡県道路公社前総務部長、福岡県土木部参事、古賀哲郎が福岡県筑紫野市山家の福岡県道路公社冷水有料道路建設事務所車庫内にて首つり自殺。
1986/6/20 昭和61年6月20日 日野市助役、赤松行雄が東京都立川市錦町4、共済立川病院にて飛び降り自殺
1986/7/21 昭和61年7月21日 愛知県立碧南工業2年、中野博和と亀島晴喜が名古屋市中村区名駅4富士ビル屋上から飛び降り自殺。屋上に「有希子さんの所へ行く」とチョークで書き置き。
1986/8/1 昭和61年8月1日 国鉄東京給電管理局総務課員、国労東京地本新橋支部東京給電管理局分会長、南雲貢が秋葉原駅山手線3番線ホームにて鉄道自殺
1986/8/16 昭和61年8月16日 筑波大第2学群比較文化学類2年、長谷部妙が筑波大人文社会学系A棟6階東側窓から飛び降り自殺
1986/9/4 昭和61年9月4日 浜松市在住の18歳、高林宏好が岡田有希子が自殺現場北のビル四谷4-28-14パレウルービル非常階段8-9階踊り場から岡田有希子の写真や切り抜きをばらまき、飛び降り自殺
1986/9/12 昭和61年9月12日 品川プリンスホテル別館3435号室において香港人が殺された事件で、犯人の英国籍廖顕彪が横浜市南区高根町3-17サンコートマンション屋上より飛び降り自殺
1986/9/20 昭和61年9月20日 元ガロ、ミュージシャン日高富明が東京都中央区新川2-2-1マンションいずみハイツ茅場町5階階段踊り場より飛び降り自殺
1986/9/25 昭和61年9月25日 福岡県筑穂町長、芳野兆が福岡市中央区渡辺通1、ホテルニューオータニ博多10階1032号室にて首つり自殺
1986/9/30 昭和61年9月30日 第一生命庶務課主幹山本晟が東京都千代田区有楽町1-13-1第一生命本社ビル屋上から飛び降り自殺
1986/9/30 昭和61年9月30日 専修大文学部教授宮川雄一郎が埼玉県所沢市上新井の自宅にて首つり自殺
1986/10/1 昭和61年10月1日 住友化学工業社員吉本光之が兵庫県尼崎市東富松辰巳台、阪急神戸線東富松踏切にて鉄道自殺
1986/10/3 昭和61年10月3日 総会屋、河合大介が東京都文京区白山4-8自宅マンション浴室内にてナイフで左太股を刺し自殺
1986/10/4 昭和61年10月4日 アルコール依存症で数年前から入退院を繰り返し休職中の玉川税務署員神保六郎が東京都大田区新蒲田2-8東急目蒲線矢口渡3号踏切にて鉄道自殺
1986/10/19 昭和61年10月19日 2年前亡くなった社会党衆院議員、湯山勇の未亡人、湯山チアキが松山市石手白石の自宅にて首つり自殺
1986/10/20 昭和61年10月20日 郵政省簡易保険局資金運用課運用企画室長、加藤幸夫が京王井の頭線駒場東大前駅にて飛び込み自殺。
1986/10/21 昭和61年10月21日 東京大学大学院生鈴木浩之と理学部情報学科4年来栖紀子が大阪市北区堂山町のラブホテルエレム4階506号にてナイフをもちいて心中 来栖紀子が死亡 後に鈴木は承諾殺人で起訴、執行猶予3年の判決
1986/11/1 昭和61年11月1日 宗教団体真理の友教会の女性信者7人、が前日病死した教祖宮本清治の後を追い早朝、和歌山市毛見の砂浜で灯油をかぶり集団焼身自殺 亡くなったのは教祖の妻、宮本延代。教祖の義母、川口伴代。養女、宮本典子。農林中金職員、山本裕己子。会社員、松尾康子。会社員、落合喜美代。信用金庫職員、辻美登里の7名で教団内では神の花嫁と呼ばれ教祖の世話をしていた。
1986/11/29 昭和61年11月29日 国鉄新潟運転所職員で元気動車運転手瀬賀清作が自宅車庫内で首つり自殺。
1986/12/7 昭和61年12月7日 栃木刑務所に服役中の篠崎信子(愛人を絞殺しノコギリで両足を切断し懲役10年の判決)が同刑務所病棟独居室でハタキの布をちぎりヒモにて首つり自殺
1986/12/16 昭和61年12月16日 社団法人家の光協会業務部長松浦利和が埼玉県嵐山町の菅谷公園にて首つり自殺
1986/12/20 昭和61年12月20日 民族派学生運動家、同志社大学文学部学生、万場世志治が京都御苑の北東部の「母と子の森」内にて切腹
1986/12/22 昭和61年12月22日 国会議事堂南側庭園内にて中年男性がガソリンをかぶり焼身自殺
1986/12/27 昭和61年12月27日 プロボウラー小森哲夫が長野県諏訪市内の山中にて焼身自殺
1987/1/2 昭和62年1月2日 余部鉄橋列車転落事故:国鉄福知山鉄道管理局豊岡運転区区長中路茂雄が兵庫県豊岡市高屋国鉄アパートA201号室にて首つり自殺
1987/1/9 昭和62年1月9日 大阪国税局総務課長、手島洋が京阪電車森小路駅上りホームにて鉄道自殺
1987/1/15 昭和62年1月15日 三菱石炭鉱業高島鉱業所労組書記長、山崎清嗣が雲仙天草国民宿舎有隣荘209号室にて首つり自殺
1987/1/16 昭和62年1月16日 山一証券副社長成田芳穂が東京都練馬区桜台5-17-2自宅物置にて首つり自殺
1987/1/20 昭和62年1月20日 余部鉄橋列車転落事故:1986年12月28日に発生した余部鉄橋列車転落事故において、余部鉄橋の風速計データ整理を担当していた国鉄福知山鉄道管理局工務部電気課係長谷垣昌幸が京都府福知山市室の山林にて首つり自殺。
1987/1/30 昭和62年1月30日 神奈川県鎌倉市山ノ内189の明月院、通称あじさい寺の前住職近藤杏邨が千葉県船橋市の船橋Gホテル5階11号室浴室にて内側から粘着テープでドアや換気口に目張りをし練炭自殺(恐らく日本初の室内で目張りしての練炭自殺、彼は6年前練炭こたつの事故で脳に障害をおっていた)
1987/2/12 昭和62年2月12日 新潟県燕市の燕商工会議所副会頭、日本金属洋食器工業組合前理事長、中山一が自宅物置内で首つり自殺
1987/2/22 昭和62年2月22日 殺人死体遺棄罪で拘置中の竹内義富が青森刑務所柳町拘置支所にて首つり自殺
1987/3/10 昭和62年3月10日 結婚相談会社OMMG元会員で無職、山崎雅秀が長崎市中町1-26OMMG長崎支所内にて所員を刺殺した後に焼身自殺。支所は全焼
1987/3/11 昭和62年3月11日 文部省会計課事務官、後藤文雄が都営地下鉄新宿線市ヶ谷駅上り線ホームにて飛び込み自殺(事故?)
1987/3/17 昭和62年3月17日 JAL123便墜落の遠因、1978年大阪空港尻もち事故の圧力隔壁検査担当だった元運輸省東京航空局航空機検査官、田島奏が埼玉県上尾市小敷谷の自宅にて農薬を用いて服毒自殺
1987/3/24 昭和62年3月24日 日本石油化学川崎事業所労働組合副委員長広川信弘が横浜市南区別所の自宅二階にて首つり自殺
1987/3/31 昭和62年3月31日 国鉄最期の日、国鉄紀伊田辺駅営業係駅うどん店主任、藤田幸一が和歌山県田辺市上秋津町の雑木林にて首つり自殺
1987/4/11 昭和62年4月11日 神奈川県綾瀬市、佐々木幸男が横浜市神奈川区反町1クロスロード反町3階スナック「志乃」店内にてガソリンを撒き焼身自殺、店舗全焼し巻き添えで13人が怪我
1987/4/13 昭和62年4月13日 日本学術会議事務局学術部学務課長金子健一が東京都港区六本木7-22-34日本学術会議ビル6階会議室窓から飛び降り自殺
1987/4/18 昭和62年4月18日 私立麻布学園教師小林公示が東京都大田区上池台1マンション7階踊り場から飛び降り自殺
1987/4/21 昭和62年4月21日 中野区大和町1満願寺住職太田周賢が同寺物置にて灯油を用いて焼身自殺、満願寺は全焼。
1987/4/28 昭和62年4月28日 静岡県清水市議会議員選挙で初当選した社会党所属、片瀬正行が清水市日の出町、港湾会館清水市日の出センター(清水マリンビル)屋上から飛び降り自殺
1987/4/29 昭和62年4月29日 コアラ飼育担当の横浜市立金沢自然公園オセアニア班班長、中条久之が公園東側雑木林にて首つり自殺
1987/5/1 昭和62年5月1日 元NHK記者、神戸四郎が静岡県伊東市城ヶ崎海岸門脇灯台近く通称「半四郎落としの岩場」から飛び降り自殺
1987/5/2 昭和62年5月2日 山梨県塩山市の石工、吉岡正訓が市議会選の違反容疑で取り調べ後、自宅にて服薬自殺
1987/5/15 昭和62年5月15日 共産党幹部宅盗聴事件:元神奈川県警公安1課、某が警察施設内トイレにて首つり自殺。事件の実行役だった。警察発表は肝硬変による病死
1987/5/22 昭和62年5月22日 フリージャーナリスト、山内徹(ペンネーム、安田弘道)がJR御茶ノ水駅近く聖橋から神田川に入水
1987/5/24 昭和62年5月24日 大阪税関伊丹空港支署次長、中村隆が京都市西京区桂坤町の自宅にて首つり自殺。部下が大麻密輸事件を起こし直接の上司として警察に事情徴収されていた。
1987/5/25 昭和62年5月25日 福岡県苅田町の住民税流用疑惑:自民党衆議院議員尾形智矩の元側近、不燃物回収会社社長金秀夫が苅田町港17カンダ総業敷地内の乗用車中にて焼身自殺。
1987/5/29 昭和62年5月29日 防衛大学校図書専門官、相川和作が神奈川県横須賀市の鷹取山の岩場から飛び降り自殺
1987/6/1 昭和62年6月1日 運輸省港湾局技術課専門官でキャリア官僚の益田卓明が横浜市南区山谷115の運輸省稲荷山宿舎裏庭にて首を切り自殺
1987/6/9 昭和62年6月9日 日本航空国内線アシスタントパーサー高橋詠子が港区港南2-10-9日本航空独身寮スカイハウス屋上へ通じる階段踊り場にて首つり自殺
1987/6/23 昭和62年6月23日 九州大学工学部電気工学科教授 小西進が九州大学工学部2号館屋上より飛び降り自殺
1987/6/24 昭和62年6月24日 慶応大学理工学部有機化学科教授 土橋源一が日吉キャンパス研究実験棟23号504A号室より飛び降り自殺
1987/7/3 昭和62年7月3日 JR関西線加美駅で男性が電車に飛び込み自殺、飛ばされホームの3人にあたり負傷。
1987/7/7 昭和62年7月7日 国立がんセンター看護師富永松江が殺害され有明埋め立て地に遺体が遺棄された事件で、同センター勤務の医師、森川映之が東京都豊島区南大塚3-2-11寿高ビル801号室にて電気コードとタイマーを用いて感電自殺、遺書に殺害を告白。
1987/7/8 昭和62年7月8日 弁護士 森高計重が営団地下鉄千代田線代々木公園駅上りホームにて鉄道自殺
1987/8/5 昭和62年8月5日 歌人、三国玲子が東京都目黒区中目黒、東京共済病院6階病室から飛び降り自殺 代表作『鏡壁』
1987/8/6 昭和62年8月6日 渋谷峯岸ビル6階映画館から主婦が飛び降り自殺、通行人のOLが負傷。(峯岸ビル跡地は現・Q-FRONT)
1987/8/17 昭和62年8月17日 元広域暴力団双愛会系幹部、元千葉県議会議員石井博が入院先の千葉県館山市館山病院3階308号室にて、見舞いにきた建材会社光潮物産社長、青木信武を拳銃にて射殺後、自ら頭を撃ち自殺
1987/8/20 昭和62年8月20日 画材文具メーカーぺんてる社長堀江利幸が東京都千代田区東神田2-1-6ぺんてる東京支社屋上から飛び降り自殺

1987/8/26 昭和62年8月26日 北炭真谷地鉱退職者の会事務局長加藤正が北海道夕張市真谷地六区の自宅玄関先にて首つり自殺。
1987/8/27 昭和62年8月27日 総武線西船橋駅ホームから線路へ飛び降りた女性が轢死。救助の男性が巻き添えで轢死
1987/8/31 昭和62年8月31日 北海道白老町でシンナーグループの5人が連続自殺、8月31日リーダーの24歳男性が自殺、9月1日サブリーダー24歳男性も自殺、9月4日同町高砂町4,海岸漁船巻き揚げ小屋にて16歳男子と14歳男子2人の計3人が集団首つり自殺
1987/9/6 昭和62年9月6日 タレント、佐々木つとむの愛人、中野美沙が佐々木を刺殺後青森県むつ市の海岸にて入水自殺
1987/9/10 昭和62年9月10日 国税庁税務大学校東京研修所総務係 伊藤登が千葉県船橋市行田団地1街区14号棟6階踊り場から飛び降り自殺、伊藤登は職場の金庫から150万を盗みガードマンを刺殺し逃走中だった。
1987/10/12 昭和62年10月12日 岐阜市立青山中学校長、船戸正美が同市湊町の長良川左岸のウ飼い遊船係留所にて入水自殺、遺体が発見される。
1987/10/19 昭和62年10月19日 彫刻家、佐藤助雄が東急世田谷線宮の坂―山下駅間、宮の坂2号踏切にて下高井戸行き電車に飛び込み自殺。代表作『地と風』
1987/12/11 昭和62年12月11日 ヨガ行者、ダンテス・ダイジこと雨宮第二が東京都福生市の自殺にて睡眠薬服用後、ガス爆発自殺。
1987/12/12 昭和62年12月12日 阪神高速道路公団大阪管理部環境対策課調整第二係長、鹿角彰男が近鉄奈良線花園駅上りホームにて鉄道自殺。
1987/12/24 昭和62年12月24日 日本大学文理学部哲学科4年大崎佳子が東京都世田谷区桜上水の日本大学研究棟12階から飛び降り自殺
1988/1/4 昭和63年1月4日 北国新聞大阪支社長、米田多良が京阪電鉄京阪樟葉駅上りホームにて鉄道自殺
1988/1/19 昭和63年1月19日 岸和田署直轄警ら隊長 松倉昇が岸和田署3階男子用便所にて拳銃自殺
1988/2/11 昭和63年2月11日 日本高速通信専務取締役、元建設大学校長 鴨沢康夫が京浜急行鶴見市場駅下りホームにて鉄道自殺
1988/2/23 昭和63年2月23日 JR東海新幹線鉄道事業本部車両部管理課課長代理 山下博範がJRビル新館と旧館境の非常階段7階より飛び降り自殺
1988/2/24 昭和63年2月24日 東京高裁民事十四部判事、高山晨が東京都千代田区霞が関1-1-4裁判所合同庁舎16階南側非常口より飛び降り自殺
1988/2/26 昭和63年2月26日 東京都玉川署警ら係巡査部長、小松義彦が東京都世田谷区等々力2-23路上にて拳銃で頭をうち自殺

1988/3/8 昭和63年3月8日 ロボトミー殺人事件の犯人、桜庭章司が府中刑務所八王子拘置支所屋上運動場から飛び降り自殺(未遂)、全治二ヶ月の重傷
1988/3/14 昭和63年3月14日 ニコルのファッションデザイナー中島伊津子が渋谷区神山町21-6松涛ハイツ3階自宅寝室にて首つり自殺
1988/3/29 昭和63年3月29日 ロカビリーロックバンド、ヒルビリー・バップス、ボーカル宮城宗典が東京都江東区亀戸7都営住宅マンション12階から飛び降り自殺
1988/4/3 昭和63年4月3日 国鉄清算事業団関西雇用対策部援助指導課長、西島義夫が奈良県香芝町狐井の自宅そばにある火の見櫓にて首つり自殺
1988/4/3 昭和63年4月3日 元大分銀行専務 福田博が大分市泉町の自宅にて首つり自殺
1988/4/4 昭和63年4月4日 岐阜県御嵩町立向陽中学校長 日比野正義が岐阜県八百津町の木曽川稲葉橋より入水自殺
1988/4/9 昭和63年4月9日 作家、田宮虎彦が東京都港区北青山2-7-26メゾン青山マンション11階1105室ベランダから3階コンクリートテラスへ飛び降り自殺
1988/5/14 昭和63年5月14日 足立区千住寿町の無職、稲垣よし子がJR立川駅4番線ホームにて通過中の上り特急あずさ12号に飛び込み自殺。止めようとした母、稲垣八重子も巻き添えで死亡
1988/6/9 昭和63年6月9日 芝浦工大学生が東京都港区芝浦3同大校舎5階から飛び降り自殺(未遂)。巻き添えで通行人2人重傷
1988/6/15 昭和63年6月15日 海上幕僚監部技術部 航空機課長、和田義文が千葉県船橋市藤倉町2マンション自宅6階共用通路から飛び降り自殺
1988/6/16 昭和63年6月16日 作家、石沢英太郎が福岡県太宰府市青山2自宅玄関にて首つり自殺
1988/7/12 昭和63年7月12日 京都府立医大医学部教授、滝野辰郎が東京都目黒区大橋2-19-5国民年金中央会館こまばエミナースにて首つり自殺
1988/7/15 昭和63年7月15日 日本共産党東京都委員会副委員長、井上隆士が日本共産党東京都委員会ビル9階ベランダから飛び降り自殺
1988/7/19 昭和63年7月19日 阪神球団代表、古谷真吾がホテルニューオータニ8階非常階段より日本庭園へ飛び降り自殺
1988/8/18 昭和63年8月18日 新潟県豊栄署署長、宮尾ショウ治が同署署長官舎1階応接室にて首つり自殺
1988/8/23 昭和63年8月23日 東京大学名誉教授、微生物学者の有馬啓が東京都文京区小石川5-24-21ファミール久堅1102号室自宅ベランダから飛び降り自殺
1988/8/31 昭和63年8月31日 京浜急行能見台ー金沢文庫間踏切で2歳児を抱いた母親が電車に飛び込み自殺
1988/9/2 昭和63年9月2日 女優、中尾ミエの母、信子が杉並区下高井戸5-6-4中尾ミエ宅階段にて首つり自殺
1988/10/3 昭和63年10月3日 女優、斉藤慶子の母キヨ子が宮崎県小林市細野の自宅縁側にて首つり自殺
1988/10/5 昭和63年10月5日 本馬術連盟事務局長、荒木貞勝が東京都世田谷区弦巻5-26日本中央競馬会弦巻住宅2号棟206号室浴室にてガス自殺
1988/10/28 昭和63年10月28日 宮城県若柳町長、鈴木吉右衛門が宮城県鴬沢町南郷四岩にとめた車内で排ガス自殺
1988/11/18 昭和63年11月18日 宮崎県立宮崎北高校2年、帆足良輔と同学1年、杉尾優衣が宮崎県西臼杵郡日之影町七折の青雲橋にて互いの手をネクタイで縛り見立川へ飛び降り自殺。のちに杉尾優衣の遺稿集『南国の秋が私をさがしている』花神社(1990)が出版された。
1988/11/18 昭和63年11月18日 元愛知県知事、仲谷義明が名古屋市中区栄1-23-16カーサビアンカ伏見10-A号室事務所内にて首つり自殺
1988/11/26 昭和63年11月26日 警察庁警備局公安一課係長、警部、大西努が大阪市東区内本町橋詰町58大阪コクサイホテルにて飛び降り自殺
1988/11/30 昭和63年11月30日 英文学者でディケンズの研究者、東京大学教養学部教授 小松原茂雄がJR五反田駅山手線内回りホームにて鉄道自殺
1988/12/18 昭和63年12月18日 1984年12月14日に発生した多摩川六郷橋撤去工事での橋桁落下事故において解体手順の設計を担当していた建設会社社員、藤原武志が埼玉県戸田市下前2の自宅アパートにて銅線を体に巻き付け感電自殺。
1988/12/21 昭和63年12月21日 墨東ボクシングジム会長、吉川渉が東京都墨田区向島3-36-2同ジムの階段にて首つり自殺(墨東ジム出身の有名選手に宮田博行がいる)
1988/12/21 昭和63年12月21日 富山県富山市立奥田中学校1年、岩脇寛子が自殺。
1988/12/30 昭和63年12月30日 昭和天皇に殉死 茨城県勝田市の元海軍少尉76歳が茨城県勝田市の鉾香取神社近くの山林にて首つり自殺。ポケットに「一兵士としてお供お許し下さい」の遺書
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